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『レジンキャストミルク』“電撃の黒い太陽”はどこまで本気か?

「いい加減にしろよ、直川浩輔……世界が壊れたヽヽヽヽヽヽ?お前はまさか、自分を取り巻く周りのものだけが世界だとでも思ってるのか? たかだか歩いて数キロの距離が世界だって? ぶざけるのも大概にしておけよ。お前は世界の中心になんかいない。お前の世界なんて崩れようが壊れようが僕らに何の影響も及ぼさない。自分とそれ以外とを同格化してそれを対比させて『世界』なんて定義で括るなよ。お前も『それ以外』なんだ。」


レジンキャストミルク (電撃文庫)レジンキャストミルク (電撃文庫)
(2005/09)
藤原 祐

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世間ではシリーズ最終巻が発売されて、そろそろ書評が出てくるはずですが…周回遅れなウチは今から1巻です。
もう間に合わねぇ!ヽ(゚Д゚)ノ乙

ああそうだ、多少ネタバレありなので未読の方注意です。

まず読んで思ったことが大きく2つあって、ひとつは「この作家は話作りにとても卓越した作家で、読者のツボを押さえるのに非常に手慣れた感じがする。“上手”な作家だな」ということ。もうひとつは、「物語中に散りばめられている“毒”やニヒリズムから、性格的にあまり好きなタイプじゃないな」と思ったこと。


「商品」としてよく出来た話
上手いと思ったのは、高校生の思考を完璧に読んだうえで、それに最も効果的に揺さぶりを書けることば、表現を選んで書いているように思えるから。「翻弄している」という感じ。もちろん、僕が高校を卒業したのは5年も前になるので、リアルな今の高校生が何を考えているかなんてわからないけど、それでもあの頃の閉塞感やぎすぎすした感じ、あと仲間うちで“島”をつくる感覚とかは匂いで覚えてる。で、この話はその空気の再現率が高いなと思った。特に僕が共感したのは敵役の直川浩輔ですね。「自分は他人と違う」という選民意識。下らない会話や価値観で日々を消費している周囲への蔑視。そして、「それなのになぜ自分は(絶大に)評価されないんだろう」という渇望感。恥ずかしいですが全部昔感じていたことです。あと、狡猾な性格の大田敦。現実的な人物像をかなり先鋭化したキャラだと思うけど、いるわこういうヤツw 極めて学校生活を陳腐なものに感じさせ、「行きたくねぇ…」と思わせてくれる存在です。おまけにカノジョは○○○○(自重)。

この空気は、たとえば『ハルヒ』なんかと比較するといいかと思う。僕はアニメしか見てないので説得力はいまいちだけど…ハルヒはそうした日常の鬱屈をぶっ壊そうと四苦八苦する話だと思うんですよ。んで、そういう僕らの想いが具現化した存在として、涼宮ハルヒが登場して、つまらない日常を振り切って非日常に連れて行ってくれる。だから彼女達の日常は現実と似てるけど、スカッとしていて、少なくともSOS団の周辺の人は楽しそうですよね。あの暗鬱とした空気は、否定するべき“親”として、涼宮ハルヒがクラスで浮いたり、心情を吐露したりするところで匂わされてはいるけども、それがベースではない。直接的には描かれていない(…のか?)。
逆にこの話ではその嫌な空気がベースになっていて、それを上手に描いている。そして主人公の城島晶はそんな“日常”を、全力で護ろうとする。立場が逆です。
たぶん僕の感じでは『ハルヒ』を見てマジになった人が、自分もああなりたいと思ってがんぱって挫折したら、晶のようになると思うんですが。(笑)
「バカ左翼、転じて、バカ保守」ですね。

まあそういう風に、少なくとも僕が高校生だった頃の心情は的確に掴めているから上手いなと思ったんだけど、それが今の高校生にも通じるかは僕は判断できない。ただある程度巻数を重ねたところを見ると、一定の評価は得たと見ていいでしょう。
そして周到なことに、この作者はそういうすべてのキャラの行動に対し、但し書きをつけて上から見下ろしている(=メタ化)。「所詮その程度だよ。全部計算通り」とでも言いたげです。これは徹底してる。だからこの作品では、主人公と地の文はほぼすべてを見通している。――これはどうなんですかね。この“神の視点”に座れる読者は快感だろうけど、直川みたいな自分の分身がボロクソにこき下ろされたらどうすんだ?それもMな快感なのか。(笑)
とりあえず、ある程度上の知的レベルで、社会的にはウブな少年をターゲットにするラノベというジャンルの本としては、パーフェクトかな。
しかしこの作者、上手いけどホントあざといわ...。


上手いがあざとい
あざといと思うのは、この作者の本音が見えないんですよ。さんざん翻弄して、皆を見下して、結局どれが本音なわけ?あるいは、読者に受けるなら、どうとでも書いてしまいそうです。実は自分の主張なんか無くて、ただの使えないニヒリストなんじゃないかという懸念がよぎるんです。「観客は感動する音楽を流せば喜ぶ豚だ」*1、みたいな。
「実軸と虚軸」とか、そういうフィクショナルで使えない視点のことを言ってるんじゃない。もっと小さくて切実な問いの話をしてる。直川はどうすれば自分のプライドに折り合いをつけて人間的に成長できるのか。DV被害者の君子をどうすれば周囲は救ってやれるのか。メンヘルの里緒や自暴自棄な八重といった“少女病”への対応とケア。そしてそもそも、蜜のように生死の狭間にしか生きる喜びを見出せなかったり、晶や硝子や大田のような“中身が空っぽ”のキャラに、現実の中高生が感情移入してしまう学校の雰囲気は少しは何とかならんのかという大前提。それらに対して作者は何の回答もしていない。…もちろん、そんな新書のネタになりそうなテーマとマジに向き合っていたら、ライトノベルとしてぜんぜん面白くないでしょうがw でもコアターゲットの読者は、少なからずそこに救いを求めて来ているはずだと思うんです。
さんざん言い回しで翻弄し、愚弄しておいて得意になるのは、自意識過剰な中二病のやることです。そしてそういう者は結局、月並みでお粗末な結論しか示せません。この作者も『それ散る』の王雀孫や、『終わりのクロニクル』の川上稔と同類の可能性がある。*2 しかも手口が巧妙なだけに始末に悪い。(ちなみにこれは、全部自分にも跳ね返って言えることです。正直、かなり痛いです…)
さんざんこき下ろしといて難ですが…『ミミズクと夜の王』なんかは、逆にその思春期の切実な問いに答えようという、真摯な思いの“純度”で勝負している作品に思うんですね。それ以外に見るべきところが見当たらないし、僕は「思いだけじゃどうにもならん」と考える人間なので、ああいう評価になってしまったんですが...。すごく新人作家らしい作品だと思う。
最近「サラリーマン作家」という話題がありますが、やっぱそういう作品に比べると、この作品はリーマン作家のそしりを免れない気がする。

ラノベ作家が放つ渾身の一撃を味わいたい いつも感想中

沢山読んでいると、
「ああ、この人は(職業/生活/サラリーマン)作家であって、(エンターティナー/アーティスト/芸術家)作家ではないのだな」
という感触を持つ事があるからです。・・・もの凄く大まかに分類すると私はそういう人の作品があまり好きではないようですね。
だからきっとこんな事を言いたくなるのだと思いますが。



関連記事:サラリーマン作家なんていない。 Something Orange

僕のなかでは、読者とまともに向き合ってない気がするのがリーマン作家かな。
(海燕さんはやっぱ優しいな。でも、エロゲはアナーキーなのが好みなんですよね(笑))


これはネタなのか、それとも真性?「毒とアイロニー」

学校の成績は確かにその後の人生に多少の影響を及ぼすが――それを活かす機会は結局のところ受験の際に集中しているから、その時に発揮すればそれでいい。逆に普段の成績は日常の学校生活に響いてくるから、高くても低くてもいけない。平均前後を漂っていれば、煩わしい事項を最も効率よく排除しつつ周囲に上手く馴染むことができる。それだけのことだ。


ちょっとドキッとするような文章ですが、この文章に顕著なように、この本にはこうした斜に構えた記述があちこちにある。*3 ここは主人公晶の心情として描かれた部分ですが、作者が「今の脳みそで高校生に戻ったら」という空想を具現化したキャラなんじゃないかというくらい、晶は可愛げのないキャラです。いや誉めてるんですがw
で問題なのは、これが作者にとってネタかどうかじゃなく、とりあえず作者が「ネタです」と明記しない限り、中高生はマジレスとしてしまうだろうということ。エヴァに例をとりますが――

一方に制作者あるいは制作者と同世代の元ネタ読解があり、それはそれで1つのコミュニティになっていた。他方ではもっと若い世代がいて、これはネタをネタと知らずにベタに消費して、「シンジくんは僕だ」とか言って泣いていた。 (東浩紀 『波状言論S改』/青土社)


そんな人にとって、おそらくこの『レジンキャストミルク』は、次の2つの機能を持っている。

関係性提示機能を要求する人たち。「これってアタシ」系ね。承認要求が強いがゆえの不完全に苦しむ人たち。最近では浜崎あゆみ周辺に集う系だよね。つまり自傷系やひきこもり系の人たちと親和性がある。「完全なる承認」という幻想は、もともと宗教と性でか与えられないけど、いまや宗教も性も部分化していて苦しい方向へ追いやられてる。

異世界提示機能を要求する人たち。萩尾望都や山岸涼子から、『JUNE』とヴィジュアル系を経て、いまのゴスロリにいたる人たちね。この連中は、異世界提示ツールが存在しなかったなら社会的退却の方向に行きかねないけど、異世界提示ツールのおかげで、神宮前に集まって擬似的な共同体を形成している。これなんかは鈴木くん(注:鈴木謙介)の言う「酷薄な流動性をやりすごすツール」になってるでしょう。

知恵を得てうまく生きているていどじゃ幸せになれないタイプを「超越系」と僕は呼んでいます。さっきの「これってアタシ」ツールや「お耽美」ツールを要求する連中には「超越系」が多く含まれています。「お耽美」に集う連中は人畜無害で、「これってアタシ」に集う連中は人畜有害です。 (宮台真司 『波状言論S改』/青土社)


この構造は、物語の登場人物にそのままフィードバックされているんですが、そういう「逸脱」を、「異能」としてプラスの意味に転化してしまうのはどうも、ラノベの学園モノの作法らしい。それほどラノベ読みじゃないんで気づくのが遅れたんですがw そういや『ムシウタ』でも同じことを書いた。今思えば『Missing』も『ブギーポップ』もそうだ…。

ギャアアアアッ! 最強ゆとりアニメ「ムシウタ」を観た

つまりこの“虫”って「痛いヤツ」の象徴表現じゃないですか?なんか希望が大き過ぎたかしたせいで変な妄想に囚われて、「現実は下らない」とか「馬鹿ばっかり」とか言って空気読めないから周りのヤツらにイジメられたりハブられたりするヤツ。


んでまぁとりあえず、それによって読者と物語の結びつきはより強くなる。そうすると、ファンは毒まで含めて『レジンキャストミルク』を全肯定してしまうと思うんです。
で、どうなるかというと、「毒への慣れ」という作用を起こす。

 なにを解毒しているのかというと、「素朴さ」です。成熟社会が一筋縄でいかないような複雑性をあらわにするにつれて、ひとは「素朴さ」を抱えたままでは生きにくくなる。だから「どうせ世界はこんなもの」という脱臼に、事前に慣れておこうとする。でも解毒剤をどんなに消費しても、毒を生むシステムとマッチポンプの関係に入るだけで、なにも変わらない。 (宮台真司 『波状言論S改』/青土社)


誤解を恐れずに言えば、この「毒」によって多くの人々は現実を“あきらめ”、大人になっていくわけですが、しかしこの毒によって相当数“こっち側”の人達が持っていかれている。“こっち側”というのは、純朴で優しい性格をした、ちょっと空想癖のある、ラノベを読むような層――もっといえばオタク予備軍です。そんな人達が純粋さをみずから否定して、競争原理に歪んでいくのは、見てて辛いです…。だから僕には、その「毒」は洗脳のツールに見えてしまう。そして生来の気質のため、彼らはカーストの最下層に配置されている。しかも、このブログで散々言っているように、この社会は決定的に底が抜けていて、“真面目さ”なんてクソの役にも立たない。
中身の無いものを信じた人は悲劇です。*4


「本物の世界」なんてない

「お前が勝手に身の回りを取り繕ったことで、もっと大きな、本物の世界が壊れるんだ。その時になって、お前のちっぽけな世界が残っていられるとでも勘違いしているのか?」


いや、残るでしょw
サブカル的な議論では、この本でいう「本物の世界<実軸>」を支える「大きな物語」は、既に崩壊してるはずなんです。そして後に残ったのは茫漠とした「ウソ社会」の砂漠と、点在するオアシス、そして地下井戸で繋がったネットカレーズです。もう僕らの行動を支えてくれる「規範」なんて、ありません。
晶は、自分たちの日常が壊れることを極端に恐れています。「それは1度壊れたからだ」という説明がありましたが、実はそれは、ごくありふれたことです。僕を含め多くの大人は、おそらく1度はどこかで人生が「終わっている」。指十本で足らない方もいるでしょう。
晶の怯えは、本当の意味で外の世界を知らないからこそくる、きわめて思春期的な、学校社会を大切に思えばこそのものです。恐らく、ここは作者は狙って演ってるでしょうね。

“なじむ”ことにどれだけの価値があるか。メタな視野を持つ今だから言えることだけど、そこまでして演じる必要はないんだよ、世の中にはいろんな人がいるんだから。全然無理をする必要なんてない。
僕がブログで一番言いたいことですが、“学校”というのは、一種のテーマパークのようなものです。そこでは年齢だけを基準にいろんな考えの人が集められ、みんなでゲームをする。“RPG”。あなたはそこで“なかま”をつくったり“くらぶ”に入ったりして“かつどう”する。他にも“せいせき”というパラメータがあって、これが高いとレベルが上がって“うえのがっこ”に行ける。――でも、それもゲームですから。作中でも、里緒や硝子が「制服」というものに違和感を述べていたけど、そういうゲームなんだから、おかしいと言えばおかしいけど、おかしくないと言えばおかしくない。今の社会では、ルールに根拠なんてないです。そしていまのところ、この国ではこのゲームに参加することは、全国民の義務です。*5
ただ、絶対に勘違いしてほしくないのは、それはあくまでゲームだということ。だから、楽しくないなら降りていいと思うんです。スクールカーストで嫌な役(ロール)を押し付けられたら、“にげる”コマンドもあるしリセットボタンもある(最近のゲーム機はありませんが、何かの隠喩ですか…)。それにほかにもゲームはたくさんある。一生かかっても1人じゃやり切れないし、ネトゲのように恐ろしく自由なものもある。エロゲもある!w

何を言ってるかというと、「本物の世界」なんてないよと言いたい。晶にとって、日常はかけがえのないものかも知れない。硝子にとって最適化した環境変数かも知れない。里緒にとって居場所かも知れない。大田にとってサル山かも知れない。
――でも、直川にとっては?彼にとってこんな絶望的な日常に何か意味があるんですか。イジメは修行ではありません。本人にやや難アリとはいえ。(時間が解決します。大丈夫)
“日常”なんて、能と同じで心地のよい「型」にしか過ぎません。しかも複雑化した現代においては、「型」とは「そのほか」との差異を認識する“便宜上のもの”に成り下っていて(ゴスとか)、その意味を問われることはほとんどない。むしろ意味を脱臼して、自分が心地いいように型を再構築することこそが求められている。(僕はその再構築した型のことを「テーマパーク」と呼びます。意味を伴わないから)
だから直川は彼のゲームに挫折したとき、里緒を屋上から突き落としたり妹を○○○○しようとしたり、虚軸『矮小関数(オンリーF)』になって大田をフルボッコにしたりするけど、僕はいいと思うんです。体裁やその後の人生を考えると、止めといたほうがいいと思うけど…少なくとも気持ちはわかる。
(“殺して解決”なんてお気楽だし、楽しい人生がもったいないですけどね。基本的に彼はアタマが単純で平和なヤツだと思うw)
まあ彼は蜜に殺されてしまうのですが。オウムといい『多重人格探偵サイコ』の渡久地といい、理想に走るタイプは同じ末路ですね。宮台真司も止めてます。
ただ僕のスタンスとしては、犯罪はともかく、下らない日常なら終わってしまえと思います。
常識なんてクソくらえ、です。

予想ですが、たぶんこの話もそういう方向に向かうんじゃないかな?
でも作者はツンデレだからはっきり言いませんね。(笑)


――続きを書いてたんですが、僕の脳のキャパを超えて破綻したんで、終わります。
(具体的に言うと知恵熱出しました。ダッセエ!w)

レジンキャストミルク 8 (8) (電撃文庫 ふ 7-14)レジンキャストミルク 8 (8) (電撃文庫 ふ 7-14)
(2007/09/10)
藤原 祐

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*1:『アルマゲドン』の監督、マイケル・ベイが発言したと聞いてます。象徴的に使っただけなので、真偽はわかりません。
*2:『終わクロ』は刹那的な美学とギャグ的状況を自覚してるので、致命傷じゃないですね。『それ散る』も機会があれば弁解したいです。別に嫌ってないです。
*3:藤原祐は“電撃の黒い太陽”の異名をもつらしいw
*4:オタクになるのとDQNになるのどっちがマシ?と言われれば、まあ微妙ですが…。
*5:正しくは親の義務ですね。

Theme:ライトノベル
Genre:小説・文学
Tag:レジンキャストミルク藤原祐
  1. 2007/09/14(金) 17:36:18|
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