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「ファスト風土化する日本」 全ての理想は、現実の前に屈服する

simotuma

「ジャスコだよ!」  (白百合イチゴ 「下妻物語*1


ファスト風土化する日本―郊外化とその病理 (新書y) ファスト風土化する日本―郊外化とその病理 (新書y)
三浦 展 (2004/09)
洋泉社

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三浦展は僕にとって良いカナリヤだ。「下流社会」の感想で書いたように、その短絡的に結論が飛躍するところ(正直バカじゃないかと思う)は全く合わないのだけど、着眼点はいつもすばらしいと思う。
今回のテーマは「郊外化」だ。

このように日本中の地方が工業化し、郊外化し、ファスト風土化してしまった現在、地方だからふるさとと呼べる風土があるとか、人間関係が親密だとか、家族や地域社会が安定しているとか、子どもがのびのびしていると思うのは、もはや半ば幻想でしかない。時代に遅れてはいるが、のどかでのんびりしているという従来の地方のイメージ、古きよき日本の故郷としての地方のイメージは根本から修正されねばならない。


郊外」といえばこのブログでは前に宮台真司の「まぼろしの郊外」を取り上げているが、本書の内容も概ね宮台の論に沿うものだ。

関連記事:夢見てんじゃねえよ「まぼろしの郊外」

小ぎれいな家が整然と並ぶニュータウン、広々とした幹線道路、大型店舗の立ち並ぶロードサイド――。国道16号線に象徴されるこれらの風景を、三浦は皮肉をこめて「ファスト風土」と呼ぶ。建ち並ぶ家々は西欧の劣化コピー、昼夜車の流れるバイパスはどこか不安を掻き立て、大型店舗には全国均一の商品が溢れる。ファスト風土とはうまいこと言ったものだ。

それらアメリカ的な価値観の開発が全国標準の文化をもたらし、地方に一定の貢献をしたのは確かだ。しかし、それによって地方は“劣化東京”に成り下がり、犯罪が増え、人々は生きる活力を失ったのだという。本書の前半分を使って、三浦は統計、過去の凶悪犯罪のピックアップ、現地取材などを駆使しながら執拗に地方の病理を書き立ててゆく。(まあ、いつもの常で感情的で、根拠は無いのだが…。この部分はあまり信用しないほうがいい)
でも心情としてはよく分かる。

もしそれなりに優秀な少年が、この停滞した佐賀という土地で生きていたら、何をどう感じるだろうかということだ。自分の能力と佐賀の現実を対比して、自分の将来を悲観したとしてもおかしくない。こんなところにいちゃだめだと思っても、当然だろうと私は思った。
 何もない、何の活気もない。ただぼんやりと平和なだけの街。何の刺激もない。驚きもない。ただ福岡に吸い尽くされているだけの街。その先には当然東京がある。少年は、ひたすら中心によって吸い尽くされている佐賀ではなく、その中心にこそ自分がいるべきだと思うだろう。だから彼がバスジャックをして、霞ヶ関へ行けと言った気持ちは、実際佐賀の地に立ってみるとごく素直に共感できる。


栃木県の小学校教諭、永山彦三郎の文章も引用している。

「僕たち地方人はそこそこの安楽さ、そこそこの消費文化、そして徹底的な効率のなかで暮らしている。それはいわばファミリーレストランの中で生活している、と言い換えてもいい」
「地方というものは、東京の下請けと化すことでそこそこの豊かさを、そこそこの幸せを手に入れてきた」
「それは反面その土地その土地の誇りが失われていく30年でもあった」
「地方では何をしていいのかわからない。夢を容易に見つけられない現実がある」 (永山彦三郎『現場から見た教育改革』)

日本の地方が、東京に比べて何もないことに一種の劣等感を感じ、東京風なものを持ってこようと郊外にショッピングセンターをつくり、おかげで廃れた中心市街地に今度はパルコや109を誘致しようとする現実は依然として存在する。いや、それこそが地方のさまざまな産業振興策の根本にある価値観だ。しかしそれは正しいのか?



全ての言説は、現実の前に屈服する

このような現状の起源を、三浦は田中角栄元首相の発表した「日本列島改造論」の中にある田園都市的なビジョンに見出す。三浦は、「都市と地方の格差を是正しようとしたことは間違いではない」としながらも、「大都市と同じものを地方にも『ワンセットでそろえる』」という土建業に媚を売った政策が、果ての無い開発と国土の混乱を招いたのだと断じる。同じ論理で、この意志を発展させた大平正芳元首相の「田園都市国家の構想」や、アメリカ的豊かさを目指したイオン会長の岡田卓也*2も批判する。

大平首相の高慢な理想も、目の前の経済、産業と妥協させられれば、いかにも詭弁とこじつけが大好きな役人の作文になってしまうのである。


三浦はこれらを「基本的なところで論理が飛躍している」として、具体的な実行段階に移ったときの論理矛盾を指摘しているのだが、まあ、正直これは彼自身にも跳ね返ってくることだと僕は思った。後ほど三浦が提示したビジョンも、お粗末でどうしようもないからだ。それはあとで述べる。

土地の売却益と建設費で潤った地方の住民は、その道路沿いの商業施設で消費をし、東京以上の消費支出をするようになった。
 しかし、地方に内発的な産業があるわけではない。だから道路建設が終われば雇用はなくなる。だから不況だというわけだ。
 こうして消費社会化した地方で何が起きたか。おそらく、働かずに金を得ることを当然視する退廃的な価値観の蔓延だ。生きる意味の喪失だ。そういう退廃はかつては都市のものだった。しかし、いまは日本中に広がっている。

地方に交通網が整備され、消費生活が豊かになり、情報もリアルタイムで入るようになった現在の地方では、地方にいながらにしてイカれることができる。
 このように、いつのまにか、都市の住民の生活のほうがある意味でリアルでまじめ、地方の農村部の住民の生活のほうが地に足がつかず、享楽的という変質が起きたように思えてならない。


そして、彼は地方に絶望し、むしろ東京に理想を見出していく。

東京のほうが多様な体験をしやすい。東京には金持ちもいれば、ホームレスもいる。超一流の職人もいる。猛暑のなかをスーツ姿で働くサラリーマンもいる。昼間からTシャツ姿でうろうろしている漫画家やフリーライターや俳優やミュージシャンもいる。そういう多様な人間を見ることのほうが、実は現代の若者には大事な体験なのだ。なぜなら、そうした多様な人間のなかには、彼らがモデルにできる人が必ず何人かいるからだ。それに対して、地方ではモデルとなる人間が見つかりにくい。人生の、生き方のモデルがないということは、そもそも人生に目標が見つけにくいということであり、人生に意味を感じにくいということだ。

アメリカ的な豊かな生活が全国津々浦々に普及したために、戦後の日本を動かしてきた「消費」「所有」、あるいは「私有」という原理の魅力が低下し、むしろそのうえに新たな原理が生まれつつある、そんな予兆も感じられる。(略)結論からいえば、それは、「関係」(コミュニケーション)と「関与」(コミットメント)の原理であり、新しい「コミュニティ」の原理であろう。

都市に対する態度も、おしゃれなファッションタウンで買い物をするだけでは満足できず、街に対していかに自分が関与できるかが若者の満足度を決めるようになっている。逆にいえば、関与する余地のある街の人気が高いのである。


このように彼は、東京の若者の街である吉祥寺や下北沢、高円寺を絶賛するのだけど、大学でまちづくりに関わってきた立場から言わせてもらえば、それにだって当然問題はある。

以下、三浦が批判した田中角栄や大平正芳、岡田卓也と三浦自身の主張を並列的にまとめ、その理念と問題点をピックアップしてみる。

田中角栄「日本列島改造論」
理念
・過密と過疎の弊害の同時解消(都会と地方の格差解消)
・美しく住みよい国土
・工業の全国的な再配置と知識集約化
・新幹線と高速自動車道の建設
・情報通信網のネットワークの形成
・地方産業の育成
・緑にかこまれた住宅群
・理想的な都市の形成
・既存の地方都市に欠けている機能
・理想はイギリス外の住宅地。実現例は「宇都宮」
問題
・地価高騰
・公共事業の垂れ流し。
・田園都市ができたためしはない。まわりが市街地化される。
・日本中が同じ景色に。
・地方文化の衰退。
・犯罪の増加。

大平正芳「田園都市国家の構想」
理念
・地域の個性、自主性を尊重する、開かれた地域主義
・「地域中核都市」「地方中小都市」「農山漁村」のネットワーク
・交通ネットワーク
問題
ファスト風土(ファミレス、コンビニ)の蔓延
・都市論を国家論に拡大解釈してしまった。
・地方郊外での意味のない田園都市開発

岡田卓也(イオングループ会長)
理念
・豊かなアメリカのような大衆消費社会
・巨大なショッピングセンター
問題
・地方の消費社会化
・車社会化。街並みの喪失
・撤退後の廃墟化
・深夜営業によるライフスタイルの歪み

三浦展の“スロータウン”
理念
・理想は「吉祥寺・下北沢・高円寺」
・副業のすすめ。趣味の地域コミュ二ティによる活性化
・建物のリノベーション
・徒歩圏の歩ける街(=コンパクトシティ
・職住近接。都心回帰。街に「働く」という行為を戻す
問題(僕の感じた点)
・吉祥寺・下北沢・高円寺は先鋭的な街で、好きな人は好きだが嫌いな人は嫌いだと思う。それを日本全体のモデルにするのはどうかと思う。
・またそこに行くのが「ブランドやステータスだから好き」という面もあるのでは。
・またそういう「濃い人」が集まってくるからそれらの街では「濃い趣味の店」が成り立つのであって、他の街ではうまくいかないだろう。
・安さには勝てない。商品と街並みの選択は不可分であると思う。結局、心情に訴えるだけで何ら解決策は提示できていない。商店街が消費者の選択でショッピングセンターに勝てると思えない。
・何かを作るには時間と金が必要だ。それは趣味の副業だって例外じゃない。
・地域内で上手く人が集まらないからネットが流行るんだから、地域コミュニティは上手くいかないと思う。またすべての人が創造的なわけでもない。
・喫茶店、ギャラリーは儲からない
・古い街ばかり持ち上げている。
郊外にはそもそもリノベーションできるストック(建物)がない。
・コンパクトシティは郊外切捨ての裏返し。
・都心でスプロール(用途の混合)や地価高憤が問題になったから郊外化が進んだのに、同じ過ちを繰り返すのか。しかも都心に戻ってこれるのは金持ちだけ。格差の縮図になってる。また、都心で中小の工場の騒音がうるさいからと追い出してるのは、他ならぬマンション。
・下流社会で創造性を否定しておきながらこれはない。


本当に郊外は何の価値も無いのか?結局三浦のビジョンは郊外の切捨てでしかない。
このように比較すると、三浦の提案がいかに平凡で、過去のものの“逆”でしかないことが分かると思う。だから正否を求める彼の理屈は、僕にはどうにも単細胞、というか幼稚に映るのだ。そこが軽蔑する理由でもある。
結局、何を選んでもさまざまな問題が出てくるのは当然だし、だから改良、改善していく“意識”こそが必要なんじゃないの?と僕は思う。答えなんてどこにもない。全部が正解であり、間違いだ。建築・都市という分野で見る限り、基本的に、どうすれば理想都市なのかなんて誰にもわかってないと思う。偉い先生も偉そうにしているだけ。だからこんなにメチャクチャなのだ。多少のブレがあったとしても、自分を信じて突き進むしかないだろう。

とりあえず、三浦の考える「馴れ合いママゴト社会」は僕には年寄り臭くて嫌なので、僕は僕の道を行かせてもらう。
彼のビジョンで郊外は救われない。

関連Link:culturestudies (三浦展公式サイト)


*1:そういえば「まぼろしの郊外」でヤンキーは地域の守り神で、援交女子高生こそが最先端のコミュニティ破壊者だっていうような記述があったなぁ…。
*2:民主党の岡田さんの父親だそうです。
Theme:書評
Genre:本・雑誌
Tag:三浦展,ファスト風土,郊外
  1. 2007/08/01(水) 21:32:22|
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