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「ARIA (10)」 天野こずえと男性ファンの関係

「でも大人になれば
それまで見えなかった素敵な世界に気付くことができる
いつも いつでも いつまでも
どこでも どんなことでも どこまでも
自分の心ひとつで変幻自在の自由自在で楽しめるのよ」


ARIA(10) ARIA(10)
天野 こずえ (2007/03/30)
マッグガーデン

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いよいよ10巻。(話は完全に「AQUA」の続きなので実質12冊目)
超傑作に挙げたぐらい好きな作品なんだけど、最近はだんだん僕の感性とズレてきてる。あと何も話が進まないんで、さすがにちょっと飽きてきた…w(そもそもストーリー性を半分“降りた”作品だから、まあしょうがないんだけど…)

出来自体は決して悪くない。絵の表現力はますます上がっているし、キャラの表情もすごく豊かで魅力的に描けてる。四季の移ろいを表現した話は演出の繊細さに脱帽。雰囲気(ムード)を描かせたら世界一(?)という気がする。(わかりやすく言うと「Kanon」と張ってる←分かりやすくねえよw)
ただ、反面初期の頃の魅力は失われたかな、とも思う。

リアリティが裏目に
「ARIA」に入ってから天野こずえはヴェネチアに取材旅行に行ってるんだけど(その前はたぶん行ってないはず)、歴史建造物のディテールとか、たしかに風景に具体性は増したんだけど、そのぶん「実際のヴェネチア」と大差無くなってしまった(舞台は未来の火星の「ネオ・ヴェネツィア」)。そうすると灯里(主人公)たちウンディーネの存在感が浮いてしまって、なんだかチャラチャラしたコスプレのように僕には見えてしまう。生活に根差してないというか…。火星を訪れる観光客相手の水先案内人、という根拠が薄い。

全体的に見ると昔の方が描き込みは薄かったんだけど、ただ最近とは違う部分を密に描き込んでいるように思う。それはARIAカンパニーの社屋や浮島、不思議なガジェットや建物の壁に描かれたファンタジックな模様のペインティング、灯里たちの制服のデザインなど。それらは決して「今のヴェネチア」から発展したものじゃなくて、いわば天野の妄想だ。この作品の舞台は「ヴェネチアを模して」とは言いつつも、実際の初期のネオ・ヴェネツィアは現実のヴェネチアとはそれほど似ていなかった。
(これは後から僕が大学でヴェネチアを研究して確信した)
しかもややこしいことに僕が魅力を感じていたのは、その初期の頃の方のネオ・ヴェネツィアだった。イメージ感というか、「未来っぽさ」は下手に現実のヴェネチアに引っ張られてないぶん、初期の頃の方が強かったと思う。初期の頃わりと天野は貪欲で、美しいと思う風景なら伏見稲荷すら作中に登場させていた。そのいい加減さというか、いい意味での節操の無さがオリエンタルさや未来っぽさを生み出していたように思う。日本の文化もかなり侵入していたので、藍華や暁たちのようなアジア系移民も浮かずに済んだ。
その意味で、僕にとって「AQUA」や初期「ARIA」はSFだった。「過去を大切にしながら、しかし過去に縛られずに自分の理想とする主体的な世界観として過去を選択する」という、学生時代にさんざん悩んだテーマへの1つの解を、未来のネオ・ヴェネツィアに見ていた。

ひるがえって今のネオ・ヴェネツィアはつまらない。現実のヴェネチアとどこが違うんだろうと思ってしまう。話の中心もアニメ化の頃から人間ドラマに移っていくし、描かれる背景もシルエットでヴェネチアっぽい住宅が並んでいるだけのコマが多くなった。これなら未来にする必要ないじゃん、フツーに日本人がヴェネチアに修行しに行く話でいいじゃん!と思ってしまう(もちろん、それでは描けない部分に魅力がある)。なんかこう、「いろいろ悩むけど美しい風景のなかで癒されて、穏やかに人びとが生きていく」みたいなのが望まれてるカタチだと思うんだけどなぁ。「癒し」まで会話でやっちゃうからなぁ…。(しかも僕は癒されない。ご愁傷様…)
たしかに東浩紀の言うように時代は圧倒的にキャラクター主導なんだけど、正直僕はこのマンガの初期に“風景主導”とでも言うべき新しさを感じていただけに、このマンガだけはキャラ主導になってほしくなかったな、とは思う(同じ理由でアニメ版も好きじゃない)。
初期の頃は吹きだしを使わず、風景とキャラの表情だけで語らせるページが結構あった。(いまでもその手法は生きてるけど、何か饒舌になった印象が強い。おしゃべりパートが増えたからだろうか。それもキャラ主導を端的に表してる)

男性ファンの居心地の悪さ?
このマンガではどうして女の子だけの世界で、男性を介した人間関係や恋愛感情がほとんど描かれないのかはずっと疑問だった。
はじめは“男性”を排除することがこの本のファン層のひとつである非モテ層にとっては現実逃避になるし、この本の掲げる「癒し」のテーマにも合っていると思っていたのだけど、最近のこの物語での男性オタクの居心地の悪さ
(これは今のところ僕の主観にすぎないんですが、みなさんはどうですか?)
を考えると、どうもそれだけではないらしい。むしろ、この男性がていねいに排除された綺麗な世界は「マリみて」なんかと同じで女性のためのものなんじゃないかと最近は思うようになった。それならばこの「終わらない女子高」のような人間関係も、最近多い陳腐な人生訓もその文脈ではアリな気がする。

何が言いたいかというと、ARIAは一見オタク向けの癒し系ストーリーを装っているけど、それは天野こずえ自身の自律的なターゲッティングではなくて、編集などの努力による戦略なのではないか、ということだ(もちろん天野自身の努力もあるだろう)。言動の端々から、僕は天野こずえはけっこう腐女子的な嗜好の持ち主じゃないかと思っているんだけど、その意味でこの本のコアターゲットは実は、少年漫画を読むような彼女に近い“女性”なんだと思う。(最初の頃に「自分が好きなものを描きました」って言ってたし) だから、天野の描く作品は男性ファンにも親和性が高いんだけど、根っこのところで男は裏切られる、気がする...。

まあ、本当のところは分からないんで、最後まで読みますけど。
(なんだかんだ言って大好きですw)


余談。僕の考えた対策(男性オタク救済措置)
・SFガジェットを初期並みに描き込む
 これはネオ・ヴェネツィアやウンディーネという存在を根拠付けることにつながる。現実のヴェネチアよりも天野先生の妄想の方が魅力的だし。
・水無灯里が恋をする
 灯里はすでに現代女性とは異なるアイデンティティを確立しているので、恋をしても男性オタクに受け入れられると思う。むしろ、灯里の恋愛する姿はかなり見てみたい気がする。(ただし、メールの相手が地球の彼氏で暁は眼中に無かった、というオチはアウトねw)


さらに余談。今回ついに画集まで買っちゃった。この人はデビューしてから本当に絵が上手くなって、最近は雲の上の人のように感じてたんだけど、画集サイズで見たら「ああ、人間の描いた絵だ!」と思えてちょっとホッとした。いわゆる「イラストレーター」の描く一枚絵ではないので、線に甘さがある。もちろん、それも魅力になるのだけど。あと、塗りもCG塗りではなくて、モネのような印象派の影響を受けた重ね塗りだ。(コミックスサイズで見るとすごく綺麗です)…へぇ、空の写真加工して使うこともあるんだ(ちょっとショック)。まあトレースは僕はいいと思うんだけどね...。よぅし、オレが越えてやるぜ!(自重しろ)

天野こずえ画集3 Cielo(シエロ) 天野こずえ画集3 Cielo(シエロ)
天野 こずえ (2006/08/30)
マッグガーデン

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最後にもうひとつ。…アテナさん、キャラ変わってね………?
  1. 2007/07/18(水) 00:49:04|
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