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コンテクストの現地調達 ―建築、pixivランキング―

 自分の手に持っている職で金を儲けるには種も仕掛けもない。自分の持つ正義への忠誠心に忠実に生き、こつこつとモノを創造し、社会に問い、そしてその問いかけに対しての評価が下る。良い時も悪い時も、自分の正義に忠実であってそれが社会から信用を勝ち得た瞬間しか儲けを手に入れることはできません。


芸術闘争論芸術闘争論
(2010/11)
村上 隆

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 村上隆の芸術闘争論、ニコ生でも観たんだけど本も読んで復習。
 村上は芸術の4要素として構図、圧力、コンテクスト、個性を挙げていますが、このうちコンテクスト(文脈)について言及します。芸術では、デュシャン以降の現代アートの文脈、作家の出身のローカリティの文脈などを串刺しにして(受け継いで)作品を作ることが求められる、そういう「ゲーム」であると彼は述べていますが、これを聞いて隣接分野の「ゲーム」はどうだろうと考えました。

GA ARCHITECT 妹島和世+西沢立衛 2006-2011GA ARCHITECT 妹島和世+西沢立衛 2006-2011
(2011/01/26)
Yukio Futagawa

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 建築分野で最近国際的に活躍しているプレイヤーといえばSANAA(妹島和世+西沢立衛)ですが、彼らは村上と違ってすごく抽象的です。ロジカルな物言いをせずに感覚的な言動を好み、作る建築もミニマリズムに特化した、ちょっと浮世離れしたものを作る。正直、あんま社会とかコンテクストとか考えてないだろうと言いたくなる(異論はあるでしょう)。しかし彼らはコンペで勝っているわけです。
 では建築での「ゲーム」は現代アートと違っているのかといえば、予想ですがそんなに差はないと思います。コルビジェ、ミース以降のモダニズムのコンテクストを踏みながら、それをどう脱臼するかみたいな「ゲーム」のように見える。しかしSANAAのプレゼンは取り立ててそれを強調することはないし、むしろ「気持ちいい」とか「落ち着く」とかそうした身体感覚をマジックワードとして繰り出してくるイメージがある。

 本のなかで村上は日本の美大教育における「自由にやりなさい」というスキームを批判していて、そうした履き違えた「自由」教育でコンテクストを省みない美大生が量産され、アーティストとして世界に通用しなくなっているのだと攻撃していますが、自分の経験からいえば建築学生も事情は似たようなもので、地域のコンテクストとかまともに省みない独りよがりな設計をしている学生が多いわけです。というか、SANAAこそがそうした美大的「自由」スキームそのものに一見見える。
 しかしおそらく彼らは「結果的に」コンテクストを踏まえていると言えるでしょう。それは何かといえば、妹島が所員として勤めた伊東豊雄のセンスであり、更に遡れば伊東に影響を与えた篠原一男の文脈です。伊東や篠原から前衛的、日本的ミニマル、有機的といった文脈が調達でき、SANAAはそれを発展させるかたちで引き継いでいます。このコンテクストの串刺しがグローバルな建築の「ゲーム」において評価されているのではないか、というのが村上の指摘を受けての僕の感想です。

 つまり建築においては、大学教育ではなく弟子筋によってコンテクストが継承されているという指摘ができます。よく言われるように伊東、妹島、石上純也、中山英之といった有名な建築家たちは直系の弟子筋であり、「白派」などと呼ばれるようにミニマルな作風も師匠から引き継いでいます。大学教育において「自由にやりなさい」と指導される状況は建築も同じですが、しかしその結果として、学生は自分の憧れる作風の建築家のアトリエに所員として就職し、師匠から独りよがりにとどまらないコンテクストを調達することが可能になっているわけです。また藤本壮介のように、直系の弟子ではなくても伊東と似たセンスで設計していたところコンペで伊東に見出されて有名になるというパターンもありえます(これは黒瀬陽平の言う「情念定型」に近い)。

 これらは村上のように戦略的ではないものの、結果的にコンテクストを「現地調達」したと言えるでしょう。むしろ計算ずくではないのでこちらのほうが自然な意味での「コンテクスト」に近い気がします。


 
 pixivデイリーランキング100

 同じようにコンテクストを「現地調達」した事例として、pixivのランキングが挙げられるでしょう。pixivに絵を投稿することは基本的に「自由に」やっているわけですが、しかしpixivランキングにはユーザーの評価を反映したコンテクスト(トレンド)があって、たとえば流行りのアニメのキャラを描くとか、流行りの絵柄(ユーザーがユーザーなので必然萌え絵です)に合わせるとかしないと上には行けないわけです。それはもしかしたら自分がそのアニメがすごく好きで、かつ憧れている絵師の絵柄を目指したという自発性にもとづくものであるかも知れませんが、好む好まざるに関わらずこれらはランクインの必勝パターンなのであり、人気絵師になるということは、こうした集合知的な萌え絵のコンテクストを「現地調達」したことになるわけです。

 村上も指摘するように最近ではこうしたロウアートも業界を形成していて、それはそれでマーケットを回しています。したがって「何がなんでもハイアート(芸術)で成功してやる!」という肩肘張ったスタンスじゃなくても、「まあそれなりで評価されたほうに行けばいいかな~」みたいな感じでもいいのかも知れません。
 しかし、最近Twitterで「絵を職にしたいならそのぬるま湯から出るべきです」という村上隆みたいな主張のRTが人気になってたんですが、それに対しての萌え絵師のrefeiaの返しが面白かった。

絵画的な絵はノータッチで漫画的な絵ばかり描いて、過酷な練習をせずにやってて楽しい程度の努力だけして、批判的な意見には必死で噛みついて論破した気分になり、自称絵師仲間で褒めあっていたら絵描きになってた

http://twitter.com/#!/refeia/status/74117553810706432
萌え絵の教科書 (三才ムック vol.385)萌え絵の教科書 (三才ムック vol.385)
(2011/05/19)
refeia

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 問題は、こう書いている彼自身が『萌え絵の教科書』を出すような極めてお手本的な萌え絵を描く絵師だということです(笑)。彼自身は過酷な練習を否定したかったようですが、却ってアイロニカルにコンテクストが動かし難いものとして立ち上がっているようにも感じられます。さて、アウトサイダーたちの明日はどっちだ。
  1. 2011/06/01(水) 23:36:00|
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