スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
  1. --/--/--(--) --:--:--|
  2. Permlink|
  3. スポンサー広告|
  4. トラックバック(-)|
  5. コメント(-)|
  6. このエントリーを含むはてなブックマーク

結論。人はわかり合えない。

そもそも僕が『ゲーム的リアリズムの誕生』を読み始めたのは「世の中の趣味が多様化しすぎて、人の話が通じなくなったらどうするのか?」という問題意識からだったんだけど、あの本では結論が出なくて、結局この間の東工大のシンポジウムを聞いて結論が出た。
つまり人はわかり合えないよね。

アーキテクチャと思考の場所 言葉の垂れ流し

東と濱野、あと一応宇野は真剣に今何をすべきかを考えていた。そうした態度を「痛い」と言ってへらへらしている宮台たちとでは、シンポジウムの成功不成功以前にコミュニケーションがまともに成立つことさえ難しい。

知識人とよばれるような人たちでさえこうした有り様か、と些か暗澹なる気持ちになったシンポジウムでした。


東工大シンポでは東浩紀ら若手3人は年長者3人の文脈に出来るかぎり歩み寄ろうと、特に濱野智史は慣れない建築分野の磯崎新の著作まで読み込んで、できうるベストを尽くして臨んだのだけど、一方年長者側の浅田彰と宮台真司にそんな気負いはなく(そもそも若手の話自体に大した興味がなく)、磯崎新はそもそもネットも携帯もやらない老人なので(爆)話が分からず、お互い議論が島宇宙状態で平行線のままイベントが終了した印象が拭えない。↑に挙げた学生のブログはそんな浅田と宮台の態度を「不真面目だ、けしからん!」と怒っているわけだけど、僕に言わせればそもそも「シラけつつノリ、ノリつつシラける」世代であるあの2人にそんなこと言っても始まらないだろと。それこそクソ真面目でものを知らないヤツが政治を語ることの気持ち悪さを言っている宮台に「痛い」と言われて終了な気がするw まあこのへんはあくまでイベントに過ぎないこういう対談を、“授業”としてしか見れない学生の限界だよなぁと思う。世の中みんなが大学の研究室みたいなこと考えて生きてるわけじゃねえんだよ、ってことだよね。

そういう世界に対し「他人を理解しよう!」と努めることは決して無駄だとは思わないけど、でもそれが一般化するとはとても思えない。だってめんどくさいじゃん!例えばあなたは僕と分かり合うために、僕がブログで紹介している本を全部読めますか?しかもそれを僕だけじゃなく世界人口60億に対して行うことができますか?無理でしょう、そんなことしてたら自分の人生が終了してしまう。――結局他人を理解するにはある程度のコストが必要で、すべての人を理解することは物理的にできない。逆に言えばだからこそ人の個性はすばらしいとも言える。

結論として、「他人を理解しよう」という意見は利権だと思うわけですよ。私たちは現実として、自分が生きていくためにある種の「コスト削減」を行っていて、結果として自分とかけ離れた人や相容れない人を弾圧・封殺して生きている。それが現代の高度文明社会ということ。…ただ、それでは救いがないし、あまりに価値観が固定化してしまうので、2つ以上の趣味社会(島宇宙)をブリッジングする役目を負う人が必要とされるようになるわけだ。でも、結論としてそいつらの語る理想は叶わない。叶わないからこそ彼らのポジションが保障されているんだとも言える。「Yes,We can!」と言って世界が平和になるなら、きっと初めから問題なんて何も起こらなかった。クソ真面目に考えてれば幸せな世界がやってくる?くだらないね。

いまの世の中気持ち悪い言葉が多すぎる。
だから僕は「死ね」と言い続けよう。世界平和のために。
  1. 2009/02/13(金) 03:40:12|
  2. Permlink|
  3. たわ言|
  4. トラックバック:0|
  5. コメント(-)|
  6. このエントリーを含むはてなブックマーク

トラックバック

トラックバックURLはこちら
http://neetwatch.blog103.fc2.com/tb.php/303-9901a3cb

PROFILE

  職業ニート
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。