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てきとうに書いたらエロオヤジが全能の神ということになってしまった。

ゲーム的リアリズムの誕生~動物化するポストモダン2 (講談社現代新書)ゲーム的リアリズムの誕生~動物化するポストモダン2 (講談社現代新書)
(2007/03/16)
東 浩紀

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美少女ゲームのユーザーは、ひとりのキャラクターと擬似的に恋愛し、泣き、笑い、責任を感じておきながら、同時にほかのキャラクターにも萌えることができる。その節操のなさ、同書の表現を借りれば「解離」(多重人格性)が彼らの本質である。


この指摘は大事だよね~。プレイヤーが視点キャラ(主人公)にシンクロしてるときは素直に物語の中に引き込まれて感動してるわけだけど、その一方で同時に彼はリセットを繰り返して何人もの女の子を攻略し、エロCGをコンプリートしようとする動物でもあるわけだ。
エロゲーオタクの内面には純愛願望の乙女と、節操のないエロオヤジが同居している。

思い返せば『ONE』『Kanon』『AIR』と、Keyブランドのゲームはエロオヤジ的な欲求に対しては去勢的だった気がする。それは例えば主人公の不在であったり、1人を選べば1人が死んだり、本気で愛さなければ主人公の存在が消失してしまったりと、故意にかは分からないけど「ハーレムエンド」的な全能感をくじく構造になっていた。

では『CLANNAD』はどうなんだろう?ゲームをやってないのでアニメを観るしかないんだけど、いまのあの世界で渚が死んでしまったこと(つまりバットエンド)を覆すために、主人公がプレイヤーのレベルに移動してゲームのリセットを繰り返す状況をやるんだろうか?だとしたら、そういうエロオヤジ的な状況をいままで抑制してきたKeyはその行為にどんな意味を持たせるんだろう?また、そういうプレイヤーレベルでの葛藤から何を得ると渚が生き返るんだろう?言い換えれば、僕たちの生きる現実というのが数ある選択肢の結果の1つで、同時に他の可能性を殺してきたのだと考えたときに、僕らはどうすれば幸せになれるのか?いまの人生に納得できるのか?なかなか面白くなってきました。
…しかし、こうやって見るとゲーム的リアリズムの理論ってまんま『CLANNAD』のシナリオ構成のパクリでホント東浩紀は仕事してないなw ちなみに鈴木謙介はラジオで「『CLANNAD』は人生じゃない」って言ってた(笑)

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逆に『神のみぞ知るセカイ』なんかは対極的で、ほとんどエロオヤジの論理だけで話が動いている。なぜなら『神のみ』の主人公は神様の命令で作業的に女の子を落としているのであって、自分の心はまったく動いていないから。そこがいまいち一発ネタ感がぬぐえない原因であり、作品としてひと皮剥けるにはゲーム的リアリズムを利用するなり何なりして作業感を払拭する必要があると思う。でなきゃエロゲー業界と同じで斜陽だ(笑)。
最近3巻が出たけど、話動いたのかな?
  1. 2009/02/03(火) 01:24:57|
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