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最近の読者はリテラシーが高すぎてテンプレなら語る必要すらないよ、ということ

220~223時間目 (1) 現代の受け手は「我慢がきかない」?~過去編の位置づけをどう考えるか? 物語三昧~できればより深く物語を楽しむために

たぶん漫画などエンターテイメントの市場が成熟くしているので、かなりの消費者が物語の類型にかなり慣れ切っている・・・つまり、あるエピソードを書いた瞬間に、その帰結まで予測してしまうというリテラシーの高い消費者が多いが故に、そうでなくても週刊レベルで読者をあおりたてなければいけない週刊連載システムに、かなりの強い圧迫が加わっているんじゃーないかと思うんですよ。同様のもので、僕はつい最近終わったアニメーションの『コードギアス反逆のルルーシュ』を思い出さずにはいられません。あれもそういったジェットコースター感覚を感じずにはいられませんでした。


僕も似たようなことは漠然と思っていたのだけど――↓
日本刀持った女子高生のリアル。

僕のように「またこのパターンかよ、こんなの全然リアルじゃない」と散々文句を言っているヤツもきっと多いと思うし、僕にとって物語の関心というのは、その人たちをどうしたら救えるのか、ということに尽きる。


たぶん多くの人が漠然とは感じていたことだと思うんだけど、ペトロニウスさんのように端的に指摘されるとハッとする。やはり鋭い。

「物語」がたやすく成立し、氾濫している現在の状況では、すでにパターンは出尽くしていて、個々の作品はその順列組み合わせに過ぎない。そういう感覚は、日常的に大量の物語を摂取している僕らオタクにとっては当然の感覚になりつつある(データベース消費)。そしてその前提のうえで作品を楽しむには、さながら好みの雑貨を収集するように好みのパーソナリティを持つ萌えキャラを漁り続ける「キャラクター消費」か、あるいは『コードギアス』のようにそういうパターン(選択肢)の組み合わせ状況に自覚的で、さらにそれの裏をかいていく姿勢を持つような「メタ物語」を志向するしかない、というのが東浩紀が『ゲーム的リアリズムの誕生』で指摘していたことだと僕は思う。
ペトロニウスさんが指摘してるのは『ネギま』なんだけど、僕はちゃんと読んだことはないけどたぶん『ネギま』はそれほどメタ志向を前面に押し出した作品ではないと思う。むしろマガジンでの週刊連載という形態上、どちらかと言えばキャラ萌えとかエンターテイメントとか、比較的軽い欲望をバックグラウンドに成立している作品だと考える。ペトロニウスさんはそうした状況下で、『ネギま』はおそらく語れば熱かっただろう、しかしテンプレの感を免れないエピソードを大胆に端折ったとして、それを「描きたかったものを思い切って捨てた。それは“経営的に”巧いな」みたいな論を展開している(あくまで僕の印象ですが)。

ただ、ペトロニウスさんは自身書いているように経営側――管理職的なポストの人――だからそういう発想は自然だと思うんだけど、僕からしてみればあまりそういうものにクリエイティビティは感じなかったりする。特に、赤松健にはあちこちの発言を見ているとエンターテイメント畑の人だという印象が強い。…僕自身ハンパな人間だから確信はないんだけど、クリエイターにはたしかにそういう妥協も必要なんだろうけど、一方でリクツ抜きに何かを信じている、揺るぎない超越性みたいな部分が必要なんじゃないかという気がする。
僕が思うのは、ある種カルト化すればそういう読者のマンネリズムは超えられる気がするんだよね。要するに本質(ドラマツルギー)の部分が読者自身の内面の問題を扱っていれば、「これ飽きた」とは言えないはずで。それが結果的には既存のパターンを超えることにもつながるんじゃないか。――それが出来てないってのは、結局どこか、テーマの本質の設定がまんが・アニメ的リアリズムの枠組みから抜け出せてないというか、ぶっちゃけテーマが陳腐で読者の子たちのリアリティに響いてないんじゃないか、という気はする。あるいは「日本刀を持った女子高生」とか、「直死の魔眼」とか、漫画アニメ的なギミックを用いた語りがテーマの本質を読者から乖離させてしまうんじゃないか、というのを最近思う。「こんなの僕の人生とは関係ない」とかね。(これは一般的な印象であって、『ネギま』は読んでないので何とも言えない)

もちろん「週刊少年マガジン」という雑誌自体が、おそらくそういうカルトな語りは好まないとは思うんだけどね。だからこれは『ネギま』をどうこうしようという話じゃない。
あと「リアル」っていうのもよく分かんないんだけど、少なくとも僕は西尾維新とか、奈須きのことかの作品に「お、これは今までと違うぞ」「テーマがリアルだぞ」っていうのは感じないんだけど、その一方で彼らが扱う「人殺し」っていうイベント自体は、すごく思春期の感情に刺さるものを持ってる気がする。――ただ、それを物語りにしちゃうとただのチャンバラになっちゃうから、難しいなと思うんだけどw


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(2007/03/16)
東 浩紀

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