スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
  1. --/--/--(--) --:--:--|
  2. Permlink|
  3. スポンサー広告|
  4. トラックバック(-)|
  5. コメント(-)|
  6. このエントリーを含むはてなブックマーク

日本刀持った女子高生のリアル。

リアルデバイド
この図を貼りたいのでエントリでっちあげました。

『屍姫 赫』というアニメを観た。まったく面白くなかった。
出来は良いと思うのだけど、何というか心に響いてくるものがまったく無い、これっぽっちもない。

我ながら学園異能モノがほんとうに嫌いだ。この世から消してしまいたい。
このブログではくどいぐらい書いてるけど、一応説明しとくと、学園異能は「なぜか特殊能力を持った少年少女たちが、バケモノとか巨大な悪の組織と戦う物語」を描くジャンルのこと。具体的な作家としては西尾維新とか奈須きのことか、奈須きのことかw(『屍姫』の原作は赤人義一ですが)

で、『屍姫 赫』を観てる最中、上の空でずっと考えてたのは「なぜこんなにもリアルじゃないのか?」ということ。呪術とか、日本刀を振り回す女子高生とか、およそ僕たちの現実とはまったく関わりの無いものがこの物語では展開される。そしてそれは学園異能としては、しごく普通のことなのだ。
――いったいどんな想像力が、こんな物語を一般化しているというのか。

いま読んでいる東浩紀の『ゲーム的リアリズムの誕生』に、これを説明する記述があった。

いま日本の小説を支える想像力の環境は、近代的な現実を信じる自然主義的リアリズムと、近代的な現実から決別したまんが・アニメ的リアリズムに大きく分かれつつある。

(東浩紀『ゲーム的リアリズムの誕生』)

要するに「漫画やアニメではよくあること(テンプレ)→使う」というふうに、中で理屈が循環してしまっているらしい。それによってドライブがかかり、ますます物語が奇形化してゆく。その結果いわゆる「現実」とはまったくかけ離れたものになってしまうけど、漫画やアニメ的にはそれがフツー、ということになってしまうのだそうだ。この説明は納得できる。学園異能モノはこのお約束の最たるものだという気がする。

まだ読み終わってないけど、たぶん東浩紀的には「ポストモダンではこれも『リアル』であり、新しい物語の可能性である」的な話になるんだろうと思われる。でも僕の話はそれで済まない。
なぜなら東も書いているように、それを観ている僕らオタクは、別にポストモダンが好きでそれを観ているのではなく、結果的にそうなってしまっているだけだからだ。僕のように「またこのパターンかよ、こんなの全然リアルじゃない」と散々文句を言っているヤツもきっと多いと思うし、僕にとって物語の関心というのは、その人たちをどうしたら救えるのか、ということに尽きる。

607日目 最近のニート2」で書いたように、僕は「こんなふうに生きたい」と思えるような“人生の参考書”になる物語が一定数必要だと強く感じるし、しかもそれは現実に即して「リアル」で、実現可能でなければならないと思う。なぜなら、そういうまんが・アニメ的に飛躍した「お約束」と、この僕らの生きている現実の間の断絶こそが、読者や視聴者を苛立たせている原因だと感じているからだ。
…何だかんだ言って、結局ぼくらはこの現実からは逃れられない。身体まで2次元の住人になることは出来ないのだ。


では、どういうものが「リアル」なのか。とりあえず学園異能の憂鬱からだけは救われたい気がする。訪れない“何か”なんてもう待ちたくない。
もちろん、このポストモダンな世の中では、「現実」といっても単純じゃないことは注意しなければならない。島宇宙化が進んだ社会では、一方が「自己責任で能力主義だ」と言えばもう一方が「格差社会で既得権益だ」と言うように、現実という認識自体が多様で、統一見解がとれない状態になっている。まあ、ある程度根っこの問題は共有してて、それが枝分かれしてる感じもするのだけど…。
パッと思いつくのは2つあって、1つは複雑な現実を複雑なまま見せること。もう1つはその人がいちばんリアルだと思う物語を最適化して届ける、ということ。テレビアニメなんて強制じゃないし観たくなければ観なきゃいいんだから、その意味では後者を実行してると言える。要するに僕が『屍姫 赫』を観たのは誤配なんだよね。つまんないだろうと思って観たから後悔はしてないけどw

ただ、僕の言う“人生の参考書”になる物語を小説はともかく、漫画やアニメで届けるには限界があるような気もする。尺が短いから「複雑な現実を複雑なまま…」といっても限度があるし、10代~20代の漫画アニメ好きなオタクに最適化したリアルな現実を描く物語って…『らき☆すた』か!?でもそれってすっごく「終わりなき日常」的な薫りがプンプンするんですけど…みたいなww


リア充
話は変わるけど、先日僕のマイミクが誕生日のプレゼントにブランド物の財布をもらったと日記に書いていて、誕生日おめでとうのコメントもたくさんついていた。察してくれると思うけど、世の中にはそういう人間が本当にいるんだということを僕は知っている。
…ん――要するに、『ブランド物の財布』ってのは“あっち側”でしょ。『絶対遵守の力』とか『木彫りの人形に神様降臨』、べつにそれ自体はどうでもいいけど…『古川渚を嫁に下さい』とか『雫、大好きだ!』とか、それはどうやってフラグ立てるんだ!みたいな話(笑)。……僕ら言っても『らき☆すた』じゃないですか?しかもかがみんが嫁ならそれでもいいけど、そうじゃないんだよ…かがみんは同性なんだよ…。

ようするに、「そこにいたる道すじ」が示せないわけ、いわゆる漫画アニメの文脈では。「かがみんは俺の嫁」と「雫、大好きだ!」の間は限りなく切れている。あるいは、『秒速5センチメートル』のようにナルシスティックに自己肯定しなければ現実に耐えられない。…だとしたら、もし「どうしてもブランド物の財布のプレゼントほしい」という人がいたなら、僕は「オタクやめてリア充になりなよ」としか言ってやれる言葉がない。それが楽しいかどうかはべつとして。
まあ、みんな多少のリスク分散はしてると思うんですけどね。テンプレの文脈に挫折した人間=オタク(非モテ)をテンプレに戻したところで、テンプレのチャンピオン(リア充)に勝てるとは思えないのだが…。

そうなると、やはりテンプレ以外の文脈で幸せになれる価値観をでっちあげるしかないのかなあ。でも「リア充」っていう定義自体がチートだしなぁ…w
この前鈴木謙介の『サブカル・ニッポンの新自由主義』読んだら、結論がアナーキズムとかいって、「ジモトとか、ネットとかの共同体でぬくぬくしてください」みたいな話でがっかりしたんだけど、あながち外れてもいないのかなぁ、と思う。
とりあえずmixiやれってことですかねw
  1. 2008/12/10(水) 09:00:00|
  2. Permlink|
  3. たわ言|
  4. トラックバック:0|
  5. コメント(-)|
  6. このエントリーを含むはてなブックマーク

トラックバック

トラックバックURLはこちら
http://neetwatch.blog103.fc2.com/tb.php/268-d3a14cd6

PROFILE

  職業ニート
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。