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「せんだいデザインリーグ」見てマジ泣きしそうになったオレ。

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卒業設計日本一決定戦とも銘打たれるこのイベントを観に仙台行ってきました。去年は参加したけど、今年は部外者だから客観的に見れるかな、と思ったんですが…予想外にマジで感動しちゃったよ…軽い気分だったのに!w

僕の主観であって客観性は無いんですが、感想を書きます。

私性/公共性

今年の争点は「私性VS公共性」の対立だったと思います。
2等をとった女の子が端的に言ってたんですが、まず問題意識として「建築ってなんかウソくさい」というのがある。
これは建築に限らず、なにか創造的なことをしている人なら結構共感してくれる意見なんじゃないかと僕は思うんですが(「絵」とか「写真」とか)。…とはいえ、それじゃ根拠があまりに希薄なので、もう少し説明しますね。


たとえば、ある人が「こうすればみんなが喜ぶ」と考える。で、そう思ったのでそれを実行に移そうとする。…だけど、それって半分は本当だけど、半分は嘘ですよね。だって他人と完全に意見が一致するはずない。単純な話ならいいんですが、例えば「ある事を達成するためにAとBの方法があって、どっちを選ぶか」みたいなときは難しい。「達成すること」ではなくて、その付加要素が争点になるから。現実的にはそういう状況が数多くあって、私たちは決断を迫られる。建築デザインみたいに明確な解の無い話は、特にそういう決断の連続ですよね。良かれと思ってやったことが住民やら審査員やらに叩かれることなんてザラなわけで。――ようするに人生経験やら年齢やら立場やらでまったく価値観の異なる人というのが現実には存在するわけです。(ちなみにこの問題には「島宇宙化と建築」という観点からも斬り込んでいます。そちらの記事もどうぞ)

そう考えると、僕たちがいう「みんな」って何なんだ?となるが…結局それって自己の延長ですよね。いわば「自分に都合のよい他者」……という言い方がダメなら、せいぜい「自分のアタマで想定しうる他者」ですよ。これは人間の能力の限界だから、ある種しょうがない部分がある。――だけど、そういう前提を持ってよくある「公共性」っていう言葉を考えると、そんなもんどこにあるんだ?って話になる。つまり、ほんとうの意味での「公共性」なんてものは存在しなくて、この概念はフェイクなんですよ。あくまで理想であって、現実を美化した言葉だ。

いわゆる「大人」というのは、“そのへんの機微を織り込み済みの人”と定義できると思います。直接的に肯定しなくても、お金を稼ぐためにそういうサイクルに従って仕事をしているのなら、それは同じです。つまり僕のようなニートではなく真っ当に生きて働いている限り、見方によっては(かなり穿った見方ですが…)「公共性」なんてありもしないものが存在するかのように、ある種割り切って生きていると言える。

もちろん「『公共性』があるとベタに信じてる人」もいるでしょうし、「原理的には不可能でも、それでもより大多数の利益になるように公共的に振る舞う」という人もいるでしょう。というか、実際はそういう人が多数でしょうね。そして、後者はいわば「エセ公共性」です。

建築というのはまさにこの「エセ公共性」のカタマリです。上に書いたように、私たちは絶対に他人のことなんて分かるはずないにも関わらず、建築家はそういう人たちのために建物を造らなきゃならない…ということは、結局出来上がった建築って、突き詰めれば建築家のエゴですよ。身もフタもない言い方をすれば自分の好きなものを拡大しただけ。そしてここが問題なんだけど、建築家は立場上「そういう私的なものをごまかして公的と言い張ってる」ということなんです。当然色んな意味で責任があるし、自分なりに一生懸命やった自負もあるだろうから、そう言うしかないんだけど…。それが「デザイン」ということだし、伊東豊雄はそれを指して「ウソをつかなければ作れない」と発言していました。その覚悟自体は僕は素敵だと思う。

ただ、現実問題そういう割り切り(決断主義)がさまざまな問題を起こしていることも確かなんですよ。たとえば、僕はその伊東の理論はすばらしいと思うけど、実際彼の作る建築はそれが暴走していて、カタチがキモイ上に経済性まったく無視だから本気で死ねばいいと思ってるし、僕だけじゃなくて広く「建築家は税金で無用のオブジェを造って…」みたいな批判も受けることになる。そして伊東とは逆に経済合理性に突き進んだ結果としても、「じゃあ安けりゃいいんだろ」的に耐震偽装とか何でもアリみたいな状況になってしまうし…。そうやって見ていくと、要するに「建築はウソくさい」って「大人はウソくさい」のバリエーションだと思うんですよ。“割り切る”こと自体に悪がある、ってことですよね。


さて、そういう状況を「子ども」の側から見るとどう見えるか。「大人なんかウソばっかりでロクなもんじゃねーな」「大人になりたくないな」という感想になるんじゃないかと思います。個人的感傷も含むんですが、特に卒計やってる大学4年時って、そういうモラトリアムがモロに表に出てくる気がする(設計取ってるヤツは院行きかアトリエ系志望で内定も決まってないだろうから、特にですねw)。そしてそれが反映した結果、「私は卒計でウソをつきたくありません」とか言いはじめる。僕がまさにそうでした…orz
こういうのを中二病って言うんでしょうね。大学4年にもなってw

“中二病”という、この万能ワードを生み出した伊集院はマジで神だと思いますが、「ウソをつきたくない」中二病患者がどこに向かうかというと、必然「私性」になります。それは上に書いた理由で他人との関わりには必ずうそっぱちが生まれてしまうので、気持ちが把握できる自分に引きこもるしかなくなるからです。そうしてウソのないテーマ=ほんとうのテーマを巡る「本当の私探し」がはじまります…。

ただ、冷静に考えればこれは明らかに“ワナ”ですよねw
理由は色々考えられるんですが、パッと思いつくものとしては…まず「私」というのが他者を介さずに完全に自立したものではないということ。あと仮に何とかして「本当の私」を見つけ出したとしても、それを建築化するってことは何かしらの社会性を帯びちゃうよね、ってこと。従って「私性」の建築というのはまず完成(完結)しないものだと思います。従って完成度では「エセ公共性」の建築とは勝負にならくて、評価されるとしたらそれは問題意識の本質突きっぷりとか、「出るはずのない答えを延々考え続けている狂気」の迫力そのものとかです。完成度の高い卒計というのは解けているぶん、おとなしい印象なんですが、解けてない卒計というのはそれなのに無理やり形を出してきてるので、何か変な禍々しさがあるんですよ、断末魔のヘビみたいな(笑)。むしろ本当に完成に近づくと、「私性」の建築は「建てなくていいや」となっちゃうと思うんですけどねw

大学でそんなキ○ガイじみたもんを評価するハズもなく(東京が魔界になってしまうw)、全般に「私性」の建築は冷遇される傾向があります。「せんだい」はそれへのカウンター的な意味合いが強くて、「本当にスゲーのはこっちだ!」とばかりに狂ったものをピックアップしてくるんですが…そのせいでデザインリーグのアバンギャルド化は年々進んでいるように思います(笑)。で、今年“電波系”の代表格だったのが、その2等の彼女だったわけですよ。


どんな作品だったかというと、何のことはない「自邸」なんですけど…およそ普通の家とは似ても似つかなくて、真ん中の大広間の周りを廊下が一周していて、さらにその外側にびっしり個室が取り付いている、陰気な修道院みたいな家なんです。家族で住んでるんだけど、各人個室をいくつか持っていて、家の中をあちこち彷徨っている。で、何か分からないんだけど一緒に団欒するようなことはなくて、家のどこにいるかも分からない家族の存在を、足音とかの微かな存在感で感じるという…なんとも気味の悪い作品なんですよ。そして極めつけには、図面には「呪詛(感情の吐露)」が延々と書き込まれてる…マジで見たら呪われそうな感じですよw
それを彼女はプレゼンするわけだけど、それも普通のプレゼンじゃなくて、彼女の内面を吐露した手紙を川上未映子ばりに朗読するわけ(笑)。はっきり言って僕はおったまげましたね。「完結してない問題を、こんなにそのままぶっちゃけてしまっていいのか!?しかも何でアイツはあんな堂々としてんだ?」と。


そういうナイーブな作品を作りながら、でも彼女自身は本当に口が巧くて(笑)、悩み抜いた末に“突き抜けた”ような強さを感じました。五十嵐太郎も言ってましたが、「私性」の狂気を極限までドライブさせた結果、出てきたものは私性とかそういうことを突き抜けて得体の知れない「何か」になってしまってる気がした。それに僕はすごく光を感じたんですよ。彼女がその強度をもって、伊東と「お前は開き直ってる!」「開き直って悪いか!」と全然負けないで戦りあってるのを見てたら、ギャグじゃなく本気で泣きたい気分になってしまいましたw 「自分より年下の女の子が伊東豊雄に負けない強度を持ってる。お前のやりたかったのもこんなことじゃなかったのか?お前はそのままでいいのか?お前もああなりたくないのか?」とね。


作品のクオリティはともかく、今年トップ10に選ばれた人たちは僕よりも全然「大人」だなと思いましたね。プレゼンも上手いし、何よりもそれぞれ「自分の問題意識」をしっかり捕まえてる感じがした。「私性の狂気」にハマって作品が建築未満の状態の人ですら、何も喋れないかと思いきや、そのこんがらがってぐちゃぐちゃな状態を一生懸命にそのまま話すんですよ(あれは既に言語にすらなってない気がしましたが、審査員にはちゃんと伝わってました)。それがすごく、僕にはまぶしかったです。

1等の彼なんかは2等とは対照的で、やはり「エセ公共的にプログラムされた建築はウソくさい」という問題意識から出発しているんですが、でも彼の場合は最後の一線で「ウソつきになる覚悟」を決めているんですよ。彼は幼稚園を設計したんですが、ポツリと「僕は『せんだい』のために作ったんじゃなくて、やっぱり子どもたちのために作ったんだ」って漏らしてて、僕はそれに「社会に役立つものをつくりたい」という使命感を感じて、やっぱりまた泣きそうになってしまったw ほんと最近涙もろくてトシだなと思うんですが…。

そういうわけで、正直僕はぜんぜん期待なんかしなくてヒマつぶしに遊びに行ったんですけど、そしたら何か雷に打たれて“天啓”に遭ってしまいました(笑)。彼らの純粋な熱意には本当に学ぶものが多いと思ったし、2等の彼女が提示してくれた「成長を拒否して徹底的に引きこもり、狂気を得てブレイクする」という方法論には道を指し示してもらったようで感謝しています(本人は「次は本当にそれでいいのか考える」って言ってたけど)。
得るものの多い旅行でした。(*^-^*)


余談。
仙台旅行の成果物。

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↑オススメ

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おみやげ。下半分仙台関係ないんですけど…てかおま右下www


↓去年2007年大会のまとめ本です。
卒業設計日本一決定戦OFFICIAL BOOK 2007―せんだいデザインリーグ (2007)卒業設計日本一決定戦OFFICIAL BOOK 2007―せんだいデザインリーグ (2007)
(2007/06)
不明

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  1. 2008/03/11(火) 15:46:31|
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