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恋愛してる?『ROOM NO.1301 しょーとすとーりーず・ふぉー』

萌えオタに社会流動化(制服少女たちの選択)を迫る俗流小説シリーズ、短編集第4弾。これで短編は打ち止めらしい。いよいよ終わりが見えてきた気がする。
この巻では本編で修羅場中のシーナはお休みで、咲良、圭一郎、鈴璃、刻也らの脇役陣が活躍する。

ROOM NO.1301しょーとすとーりーず・ふぉー (富士見ミステリー文庫 16-19)ROOM NO.1301しょーとすとーりーず・ふぉー (富士見ミステリー文庫 16-19)
(2008/01/15)
新井 輝

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個人的に、エリと鈴璃のエピソードは共感できない…というか、描き方がつたないと思った。そもそも僕は鈴璃の悩みにあまり共感しないし。当たり前なのだけど、長編化すると作品と読者のシンクロ率は下がるし、ノイズと感じる要素も増えてくる。だから作品は適度なところで完結するべきだし、だらだら続く作品はこっちから切ってやるべきだと思ってる。その意味で『ROOM』が終わりに向かってるのは、僕の中ではとてもいいタイミング。シーナエピソードを解決して…予想だとせいぜいあと2~3巻ってとこかな? 『ROOM』にしろ『ARIA』にしろ、僕が長年愛してきた作品はそろそろエンディングを迎えようとしていて、しかもかなり上手に着地しようとしているのを感じるので、すごく嬉しいし、僕は幸せだと思う。某テニスみたいなのは、僕にとっては最悪だから(笑)

刻也と冴子のエピソードは核心に迫っている感じがして、かなり好き。本作最大の謎は冴子だろう。彼女の心のブラックボックスが、最終エピソードの起爆装置に繋がってるはず。そして、それが起動するのは彼らの人間関係が密度を増し、「冴子的なもの」「千夜子的なもの」「鈴璃的なもの」が接点を迎えるときに訪れるだろう、という予感がある。しかもその内圧はかなり高まっていて、この巻でもかなりのニアミスを起こしている。もはや時間の問題だろう。終わりが近いのをひしひしと感じる。――ただ、以前の話をちょっと忘れてて分からないんだけど、彼らの親同士の関係ってどうなってんのかな? 健一たちにとって、親は自分の抱えるトラウマの象徴として描かれているんだけど、この作品では同時に彼らを見守る描写も存在して、しかもどうやら、互いの親同士が顔見知りらしい。これがどう核心に絡んでくるのか。ちょっと“親視点”でこのシリーズを読み返す必要があると思った。


『ROOM NO.1301』と恋愛フェミニズム

87年から94年にかけて高校生女子の性体験率は9%から16%前後へと倍増。男子を抜き去る。
大学生女子の性体験率も26%から44%へと1.7倍に増加。
(総務庁の委託により日本性教育協会が調査)
女子中学生の27%にテレクラ経験がある(95年)
高校生三年生の女子の4割弱、男子の3割弱に性体験がある。(96年 東京都)
8%弱に援助交際経験

結論から言うと、男のほうはまだ古典的な「恋愛幻想」に固執しているのに、女のほうはこうした幻想から急速に離脱しつつあるために、男がまったくついていけない状況が生まれているのだ。
(『まぼろしの郊外』宮台真司/朝日新聞社)

結論からいえば、こうした宮台真司の「女の子は進んでる。男は修行せよ」という言い分もまた、1つの“テーマパーク”だった。当たり前だが、みんながそんな過激な生き方をしてるわけではないし。――かといって、昔のような純情がベタに通じるわけでもない。ようはその人の「趣味の問題」なのだ。

それを踏まえ「援交&チェンジ」のコギャルよりはユルいが、フェミ化した女性の奔放な性を描いている本作。幼いくらいに自分の気持ちと欲望に正直な綾、ポスト援交(メンヘル)的で肉体的な繋がりに心の安寧を求める冴子、近親相姦一直線の蛍子、虚構の男性性を演じるシーナ、非モテ女のツバメ、胸がコンプレックスの鈴璃、ニズムを体現するエリ、「恋愛」しない狭霧、――そして、テンプレな純情ヒロインの千夜子。
この物語ではそれらの個性が他を否定することなく、まったく同時に存在している。主人公健一と同様、「恋愛が苦手」な僕には眩暈がする思いだw

なぜなら、描かれているどの娘の“キャラ”も今の世の空気を上手くすくい取っていて、「実際こんな娘いそう…」と思ってしまうリアリティを持っているから。自分の知り合いを省みても、こういうメンタリティの在り方は全然不自然じゃないし、新井輝の描き方は上手いと思う。そしてそれが「同時に存在する」という、この世界観がすごく現代的で共感する。

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「島宇宙化」

ようは僕お得意の「島宇宙」メソッドで(またか)、おそらく読者は提示される多様なヒロインのなかから1人を選ぶことで、同時に自分を支える価値観、世界観をも選択を迫られているんだという気がする。
たとえば千夜子的な「純愛」を求める人は、綾や冴子を汚らわしいと思う反面、それではいつまでも関係が進展しないことが暗示されるし、しかし逆に綾や冴子を選んでも、それは本当の意味での「恋じゃない」し、蛍子的な選択の結末も一般的な「幸せ」とはかなり異なる。つまりスタンダードな恋愛像からは、どれもズらされているのだ。

Lifeで鈴木謙介も言っていたけど、僕たちが一般的に考える恋愛像というのも、所詮は僕らが生まれるちょっと前――1970年代――からの浅い歴史でしかない。その間にも「彼女」は「カノジョ」に、「告白」は「告る」に(この微妙なニュアンスの違い分かるよね?)変遷した。…というか、そうやって意味を軽くしてズらし、“なし崩し”的に既成事実を作ってしまうのが、我が日本の伝統らしい(笑)。その意味で、僕らの「現実」というのは常にズらされ続けるし、この話のどの子を選ぼうが「トゥルーエンド」なんてのは存在しないのだろう、このご時世。

――僕たちは虚構の世界の枠組みのなかで、虚構と知りつつも虚構に縛られて生きる。
実際「スタンダードな恋愛からズらされている」とはいえ、まったく恋愛と無関係に生きてゆけるほど人間は強くない(だったらこんな話も生まれないしね)。綾にしろ冴子にしろ、歪んではいるが、その背景には恋愛的なものが色濃く感じられるし、それは現実でも同じことで、例えば「セフレ」なんていうのは彼氏彼女のフィジカル面での代理機能だし(さびしさを埋めてほしい)、僕は売買春ですら「完璧に割り切ってる」とは言えないだろうと思う。もちろん「だから愛の力を信じるんだ!」というのは違うだろうけど。てかそれは超ヤバイねw

じゃあ何を信じればいいのか。
僕なりの考えだと「個人」なんだろうと思う。「――系」とかのキャラじゃなく、「○○さん」というその人の人生や、自分との絆を考える。上に挙げた理由で「ベタにナニ系」っていう人も今はいないだろうし、現実問題女の子が「総フェミ化」してる世の中だから、かなりシビアな気はするけど…そういう相手を許容するかどうかは「個人」への思い入れで決まるのだろうし、その思い入れが何なのか?つったらいままでの関係性の蓄積でしょう。…てことは暫定的な選択の積み重ねだから、やっぱ“なし崩し”なのかも知れないけどね(笑)

ま、結局「恋に恋する」んじゃなく、ちゃんと人間と恋しろってことなんだろうなw


関連記事:寂しがり屋なぼくらの物語 『ROOM NO.1301 #9 シーナはヒロイック!』
関連記事:夢見てんじゃねえよ 「まぼろしの郊外」
関連Link:文化系トークラジオ Life

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