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「お前以外の人間は全員お前じゃねえ」なら文句言うな ―誰かに理由なく嫌われるのはむしろ当然―

どうせ誰も聞いちゃいないが、番外地から参加。
はてな村で盛り上がる「書評」にまつわる問題について。

「ダメ書評」に対するマンガ編集者の視線 ラノ漫―ライトノベルのマンガを本気で作る編集者の雑記

批判と称されるものの大半は批判者個人の嗜好にすぎません。好きな作品に自分好みの展開を望むことは自然ですが、すべてが望み通りいくわけがありません。それをするためには、世の中のすべての人間が同じ価値観の中で生きる必要があります。


そんなの百も承知だ。しかしそれを言うなら作品だって作者や編集者の嗜好に過ぎないのに、読者は自分の嗜好すら表明できないのか。「お前らは愚民なんだよ」と?
作家ばかりが好き放題言いっ放しなんて絶対許さないぞ。

創作を“コミュニケーション”と捉えると、読者とのキャッチボールが成立してこそはじめて作品は意味を持つと思う。だからコミュニケーションのキャッチボールが出来ない作家・編集者は、どんなに優秀でも消えてもらって結構。

m_tamasakaさんと僕の間にある隔たりは、作り手/読者という以上に「作品」というものにどんな価値を見ているかという違いだと思う。m_tamasakaさんは編集者だから、たぶん作品の独立性や独自性を信じて淀川長治的に「どんな作品も良い所がある」とか、「悪い作品なんてない」と思ってるのかも知れないけど、物語に関して言えば僕やたぶん他の書評サイトの人たちが言ってるのは、「良い・悪い」じゃなくて「好き・嫌い」のレベルの問題でしょ。「自意識を押し付けんなよ!」ともどっかに書いてた気がするけど、上にも書いたように文学作品なんてコミュニケーションツール以上に何の意味があるの?少なくとも僕は「良い・悪い(上手・下手)」には何の興味もないよ。

ひとりで本に向き合えば作り手とのコミュ、ブログに感想を書けば他の多くの読者とのコミュ――。それなのに本当に言いたいことも言えずに、↓の人みたいに都合の良い言葉しか書けなくなってしまうのなら、もうブログやってる意味も無ければ「作品」が存在している意味もないでしょう?それは非コミュだよ。

意見をかわすより「ありがとう」って言えばいいと思うよ。 60坪書店日記

井上堅二先生。面白い作品をありがとう。
勇人先生。なごむ作品をありがとう。

※決して「60坪書店日記」さんを貶める意図はありませんが、僕は“クリエイター信仰”的なものが嫌なのです。

そんなの『ヨイコノミライ』の漫研みたいに、ぬるま湯で傷舐めあってるだけじゃんか。

別に表現者だからって偉くないよ。作家は自分の作品でメシを食ってるだけであって、それに敬意を払うべきなんて法律はない。それは単なる言いたいことが言えないヤツのコンプレックスだろうし、見向きもされなければ作品だってウ○コに過ぎない。

褒めてばかりの読書感想サイトと、健気な美少女作家のこと ウィンドバード::Recreation

たとえば「ラストが駄目だったけどそれ以外は面白かった」と書くのと、「途中まで面白かったけれどラストが駄目だった」と書くのとの違い。それを読む人は、前者を「高評価」、後者を「低評価」と捉えるのではないか。これは単なるレトリックの問題というだけではなく、気に入らないところを切り捨てて評価するか、気に入らないところも含めて評価するかの違いが大きいのだと思う。


また、上のエントリのタイトルが言うように、紹介する作品を悉く褒めるサイトと、ザックリ言うサイトがある。わかりやすい例で言えば最近の「Something Orange」と「いつも感想中」の対立。
別にこれはどちらが正しいということではなく、スタンスの違い。
私見では書評サイトは「漫画読もうぜ」のように「全部面白い」と考えるプリミティブなスタンスからはじまって、「いつも感想中」のようにラディカルな状態を経過し、また戻ってきて「Something Orange」のようになる気がする(これは「Shamrock's Cafe」の変遷を見ていて思ったのだけど)。どれがいいということでもなく、ただ「Something Orange」は新参ホイホイになるし、「いつも感想中」のように主観丸出しの書評には固定ファンが付くということ。

積極的にオタクであるということ。 Something Orange

よくいるよね、アニオタをばかにしつつ、現代アニメの一本も見たことがない奴とか。それはやっぱり最低だと思うんですよ。ある文化を非難するときは、その文化の最高の作品を味わってからにするべき。


ちなみにこの主張は完全に無効であると思う。なぜなら先入観なくして人は物事を見れないし、全てのことを先入観払拭するまで追及してたんでは、いまの時代脳がパンクする。初音ミク騒ぎの時に書いたけど、人は先入観で自分に必要な情報を取捨選択して不必要な情報には過小評価したレッテルを貼るのが普通であり、この記事のタイトルにしたように「誰かに理由なく嫌われるのはむしろ当然」だ。それを取り消したいんであれば対話が必要であり、y_arimさんのようにある程度覚悟も必要。

新年もマシンガン その1:「嫌なら見るな」を撲滅したい HINAGIKU 『らめぇ』

軋轢を拒み、軋轢を生みそうな相手との接触を避けて生きるのは賢明だろうが、そこには生の熱さがない。自家発電もいい、同好の士とともに熱狂するのもいい。だが、他者とのぶつかり合いもまた、エラン・ヴィタールなのだ。
異を唱える者とは徹底的にやりあうべし。


ただそれはすごく疲れるから、あくまで自分が楽しい範囲で共感し、反論して意見を戦わせ、相互理解を目指すのが現実的な生き方だと僕は思う。だから作家も楽しい範囲でやればいいのに…。

もったいない NaokiTakahashiの日記

読者の正しい批評にさらされて才能ある作家が潰されるのは、別に間違っちゃいないんだけど、もったいないなあと。


またNaokiTakahashiさんのように才能が「もったいない」と考える向きもあるけど、僕はその作家の生き方の結果として作品があると思っていて、すばらしい作品だからってそれ単体で存在してもしょうがないし、批判に凹んで辞める作家がいるのも悪いことだとは思わない(ホントにいるのかそんなヤツ?)。むしろその才能がもったいないからといって手厚く保護するのは、まるで絶滅動物を保護しているようで、却って作家を見下している気がしていやだ。

――m_tamasakaさんがそのへんの機微を理解できないとは思わない。ただ文章にするうえで、「編集者」という立場のうえで切り捨てると、過激な主張になるということ。
“立場を背負った”ということでは廣田恵介さんのエントリがわかりやすい。

社会性を持つ 550 miles to the Future

僕は、映画やドラマが成立するプロセスをある程度、知ってしまっている。だから、ドラマの『ハチクロ』で『北の国から』のパロディをやっても許せる。キャスティングだって、プロダクションの力関係とか、いろいろあったんだろ。つくってる側は、ファンと違ってリスクしょってるんだ。だから、「見た以上は悪口禁止」だ。


言い分は分かる。しかしこれを受け入れてしまってはマズイだろう。それでは根回しに腐心する新米議員候補と全く同じになってしまう。それ(コネ社会、不正社会)は僕がいちばん恐れている事だ。

廣田さんはこうも書いている。

以前に、「蔑むな、愛せ」と書いた。愛は、怒りによって支えられるのかも知れない。だとしたら、『ネギま!』『ひぐらし』の実写化に猛反対した人たちには「最後まで、許すな」と言いたい。もし本当に、怒れば怒るほど、愛が深まるのであれば。

僕はこれでいく。だから書評に手加減はしない。


余談。
知り合いで漫画業界に長年携わってる人がいるのだけど、その人は「ハチクロの面白さがわからない」と言う。僕が思うに、『ハチクロ』は作品の独立性(どんな作品にも良い所がある)を担保としたエンターテイメントの文法では、たぶん面白さが補足出来ない作品なのだ。そうではなく、ハチクロを楽しむには自意識を核としたナルシズムや「好き・嫌い」の“主観”がきっと重要なファクターになっている。ちなみにその人は僕(24)より1世代上なんだけど、こうした自意識的な作品読みは「エヴァ世代」の上と下でかなり異なっていて、どうも上の人たちには僕らの考えが全く分かってもらえないように思う。おそらくm_tamasakaさんも上の世代なんじゃないだろうか?でも、羽海野チカや新海誠みたいな、コミュニケーションの上に成り立った作家性というのもこの先理解する必要があるよ。

余談2。
僕は「コミュニケーション至上主義」のいまの世の中は嫌いなはずなんだけど、思っていたことを吐き出してみたら「完全に非コミュ」というのも、どうも嫌らしい。
…そのへん微妙なんだけど、本田透に共感しながらも「現実を全否定する」というスタンスが受け入れられないことから、僕はまだ他者に希望を失っていないんだと思う。「これつまんねーよ」とdisりながら、相手の言い分を理解しようと試み、自分の主張を理解してもらおうと努める姿勢が、僕にとってはいちばん楽しいようだ。

関連記事:ダメプロに対する客の視線 萌え理論Blog


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