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軽い07年総括 ―消費と創造のオタク界―

ブログ界隈も年末でにぎやかですね。Keiさんに呼んでいただきました。

エヴァ卒業宣言 高度資本主義社会の中で生きていくために

『秒速5センチメートル』解釈がこれで良かったのか不安になり、いくつかブログをチェックしてみた。(略)
職業ニートさんの『ニートのかんさつ日記』は僕と正反対でビビった。
多様な読解も可能な作品であると、言う文芸評論のクリシェで片付けられないぐらい、お互いのアイデンティティに関わりそうな違いな気がする…。

待てやw
語彙や論理的思考では全然かなわないけど、「50分間明里への想いを描き続けて、ラスト10分であっさり捨てる」という見方はまったく同じですよ?オレそんなに変なこと書いたっけなぁ…

「秒速5センチメートル」 映像の印象派、新海誠

それでも想い続ける。それが美しい。
いまの世の中では馬鹿にされることだけど、このアニメは「それは正しいんだ!」と、力の限りに叫んでいるような気がする。

あーたしかに、これだと愚直に初恋を美化してるかもね。
そうじゃなくて、むしろ「過去への整理の付けかた」として読んでほしいです。

Keiさんがこの記事で言ってるのは、「人間関係っていうのは他人との関わり合いだから、絶対に思い通りにならないよね」っていう問題意識だと思います。それが昔『エヴァンゲリオン』が流行ったときの結論だったから。ただそれって、すごい皮肉な考え方だ。で、もういい加減うんざりしてきたので、もっとプラス思考で考えられないのか、ってことだと思うんですが。僕はそう理解しました。

『秒速5センチメートル』が描いてるのは、そういう他人との関係です。うまくいったり、いかなかったり。…で、最終的には、主人公の貴樹には何も残らなかった。じゃあ、貴樹は不幸なの?と。ここで意見が分かれるとこなんですが、新海誠作品には一貫してナルシストっぽい雰囲気がある。つまり、こういう一見救われない話を描く意味って何なの?ということ。

で、そこの理由を本人に会ったり、作品や言動から考えてみると、やっぱり「自己肯定」だと僕は思う。つまり、そういう失敗もひっくるめて今の自分があるんだ、と言いたいんだと思うわけ。でないと初恋なんて、ただの痛い汚点だからね。――ひぐちアサの『ヤサシイワタシ』に、「思い出の善し悪しは、自分の現在の状況で変わるよ」というようなセリフがあるんですが、その通りだと思って、だったら情けない過去でも嫌わないで肯定してやったほうが、精神衛生上いいなと僕は思ったわけです。

ただ「それをここまで開き直れるか?」ってのは、正直趣味が分かれますよね。僕は新海信者だからアリですけど。最近で言ったら『CLANNAD』と『ef』のどっちが好み?みたいな。


消費されることで創造される
最近Something Orange発で「作品は、作者のものか、読者のものか」なんていう話がありますけど、あちこちのブログの総括を見るかぎり、読者の影響力が急激に高まってきているのが2007年の傾向だったのかなと思っています。様々な形で作品を消費する読者が現れてきて、従来の同人的な価値以外にも至る所で様々な価値が生まれていたのが今年でした。そしてそれには、読者“だった”ひとびとに表現の場を提供する、さまざまなツールの充実という見逃せない背景があった。ニコニコ動画、初音ミク…従来作品を提供する立場だった企業は、だんだんこういうツール提供に宗旨替えしていったほうがいいのかも知れません。一方で今年はメディア発の作品の限界を感じさせる年でもあったと僕は思います(『XENOGLOSSIA』『なのはStS』『ひぐらし』)。

ま、ブログ村の中からの印象だから、偏ってるんですけどね~。
Galaxy01_20071212210754.gif
                                    (宮台真司「島宇宙化」)

むかしエヴァが流行っていた頃は、宮台真司が言うように読者の「消費の仕方」としては2つ(共感、ネタ探し)に分かれていたと思うんですが、メディアとして『エヴァンゲリオン』という作品は共有していました。ところが10年前と較べると、いまは問題意識すら共有してない気がしますね(というか、共有していたあの頃が変だった?)。このブログで再三言っているように、趣味の島宇宙化が進んで、オタクというカテゴリーのなかでもさまざまな読み方が林立している。そしてそれに合わせて作品も小粒化していると思います。『秒速』は確実にそうだし、『らき☆すた』も『ef』も、『新ヱヴァ』ですらそういう気がしました。そういう意味で、Keiさんが言うように流動性は高まっていて、あっという間に(従来的な)作品は消費されてしまう気はしますね。がんばっても『コードギアス』がいいとこでしょう。だから、決断主義は必然的にやらざるを得ない、というかね。

で、新しいタイプの作品なんですが、これはホントに『XENOGLOSSIA』はアホ、ということに尽きますね。萌え理論Blogの言うとおりだと思います。バンナムは自社の体質が古いばっかりに、手持ちの作品のポテンシャルを引き出せませんでした。せっかく双発的に読者まで取り込んだメディアミックスが完成したかも知れないのに!…アレですね、やっぱ会社は死んだ方がいいわw

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関連記事:そのマンガがつまらないのは、作者のせいか? Something Orange
関連記事:2007年って何もなかったね話@ゲームデザイン かさぶた。
  1. 2007/12/25(火) 15:32:16|
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