スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
  1. --/--/--(--) --:--:--|
  2. Permlink|
  3. スポンサー広告|
  4. トラックバック(-)|
  5. コメント(-)|
  6. このエントリーを含むはてなブックマーク

『ef』で中二病と物語を考える。



紘「プロは、その縛りと戦ってるんだよ。戦わずに手に入れた自由とは意味が違う」
京介「オレが戦いたい場所は違うんだよ!観客や審査員の評価に縛られないで撮りたいんだ。お前は読者のことだけ考えて描いてるのか!?」
紘「オレだって!自分の描きたいもの描きたくてやってるよ。ただ読者のことを考えなくていいわけじゃないだろ!?お前は観客のことは考えずに撮ってるのか?」
京介「ワンシーンでもいい!ワンカットでもいい!オレは、観たヤツの魂が震える映像が撮りたい」
紘「………」
京介「そのためには、オレの魂が震える瞬間じゃなきゃ駄目なんだよ!」
             (ef-a tale of memories.第6話「rain」)

『ef』の厨クサさは異常。
狙ってるにしても程があるだろw
セカイ系は極限まで極めるとコントになるんだな...。

とはいえ、中二病作品が扱うテーマはかなり好きだったりする。思春期は社会との直接対立が回避されている分、根源的な問題意識を持つからだ。どうすれば戦争はなくなるか、とかね(某ガンダム)。
ある意味いちばん真摯にこの世界と向き合ってるのは、思春期の人間だろう。

それ自体を悪いことだとは言わないし、むしろ僕もそういうのこそがほんとうに大事なんだと思う。しかし同時に、それだけでは実社会に対し通じないとも思う。
セカイ系雑感」で述べたように、思春期が図らずもメタな視点を獲得できるのは、社会のしくみから徹底的にフリーな存在だからだ。しかしそれは同時に、実社会に対してなんの影響も与えられないことも意味する。それではよろしくない。現実的手段を駆使してその理想を実現する「機能の言説」が必要だ。
それがないから、不正の蔓延するクソ社会がいまこうして存在する。

「どうせ世界はこんなもの」だと気づいてしまった「頭のいいニヒリスト」に対して、「マイノリティの自由は大切である」というような従来の道徳的な言葉は、完全に無力だと断言します。
(宮台真司 『波状言論S改 社会学・メタゲーム・自由』)


“大人”とは何か。
『ef』は、たぶん“いい大人”には通用しないだろう。切実すぎるから。真実そのままをぶちまけてしまうことを、大人は嫌がる。
「知ってる全てを話しちゃいけない」
というのは、小説家の新井輝のブログタイトルだけど、真理を衝いていると思う。真実は教えるのでなく、分からせるのだということだろう。
…しかしそれは裏を返せば、ほんとうは皆分かっているということじゃないのか。分かっていて、クソにもならないと無視してるんじゃないのか。

万人が合意可能な「公正としての正義」の観点から問題を裁断できると考える人が多いけど、それはありえません。むしろ合理性という観点からすればネオコン的ニヒリズムのほうが理にかなっているかもしれず、少なくとも短期的に見れば多くの人――行政に責任を付託する公衆という、範囲の限定された人々――の利益になるのです。
 そうしたことを熟知したネオコン的ニヒリストにとって、たとえば環境問題は、主義の問題というよりも趣味の問題にすぎない。そういうニヒリストにとって、趣味にもとづいて異議申し立てをする連中など、屁でもないのです。
(宮台真司 『波状言論S改 社会学・メタゲーム・自由』)

僕は“大人”とは、「アイロニカルなリアリスト」のことだと思う。べつに世の中のためにならないと理解しつつ、不正と知りつつ自分の仕事をしているやつ。つまらないと文句を垂れながら会社を辞めないやつ。自分は違うと思っているやつ――。(逆に中二病だとヒロイックな世界に憧れるとか、夢に向かってワナビってるとか…つまり『ef』のキャラそのものねw)
僕に言わせれば全部逃避だ。実際、その内面なんて僕らと大して変わらないくせに。
再三申し上げるが、そんな奴らに無理してまで生きててほしくない。とっとと消えてくれ。

ただ、それでも僕が“大人”に拘るのは、やっぱり社会の実権を握っているから。結局僕の興味は、どうすれば現実社会を理想化できるかということに尽きる。その意味ではやっぱり大人になりたいし、『ef』は何か足りないと思う。
要するに僕が気にしているのは、よくいう“リアリティ”のことだと思う。出鱈目な吹き上がりに流されて、道を誤りたくないから。特に子供が大人になった気で、じつは今一歩成りきれてなかったりすると、痛いでしょ。


中二病 ∝-1 リアリティ
――僕が中学時代から最近まで、まともに「お話」を作れなかったのは、たぶんそのへんの問題だと自分では思う。
作ってみるんだけど、なんかセリフがいちいち痛かった。一字一句が無性にこっ恥ずかしいし…ちょうど『ef』と同じ感じだった。こんなはずじゃないと思ったし、頭で考えてる時はすごいイイと思ったのに、文章にしたらひどくなってしまう原因も当時はよく分からなかった。

それで長年悩んで、僕なりに出した答えが「現実感」だった。結局どんなにいいセリフでも、TPOわきまえなかったり、日常的にそういう尖った話をしてたらキャラが変人になっちゃうんだよね。いま風に言うと「空気読め」ってことなんだけど…。それはやっぱ若い頃は自分自身が足りなかったし、納得できるものを書くのに今くらいまで歳を重ねる必要もあったと思う。お話というのは虚構の世界だから、どうしても高踏的になってしまいがちだと思うけど、僕はそれは本意ではなかったので。

たぶん、アイデアの第一稿で『ef』みたいな話になっちゃうことってよくある気がする。そこから手間掛けて文章推敲したり、客観的に言い過ぎてるところを直したりしないと、厨クサさは払拭できない。
だから僕は現実感をすごい気にするんだけど、『ef』はそのへん華麗にスルーというか、むしろ痛さを煽ってるでしょ。千尋と蓮治が夢見がちで小説書こうとするところとか、紘が少女漫画家なところとか、明らかに燃料だしw
要するに、『ef』に浸ることがなんら現実の役に立たないってことを僕は言いたいんだと思うんだけど。(それをアニメに言うかw)

ただ、そういう設定って思春期の子にはやっぱ共感要素になるんだよなぁ…なんか最近ソレはソレで有りな気がしてきた...。
このへんが中二病モノを一笑に付せないトコなんだよなー(『終わりのクロニクル』とかね)。


関連記事:セカイ系雑感
関連記事:『レジンキャストミルク』“電撃の黒い太陽”はどこまで本気か?
関連記事:ギャアアアアッ! 最強ゆとりアニメ「ムシウタ」を観た
  1. 2007/11/14(水) 01:18:36|
  2. Permlink|
  3. たわ言|
  4. トラックバック:0|
  5. コメント(-)|
  6. このエントリーを含むはてなブックマーク

トラックバック

トラックバックURLはこちら
http://neetwatch.blog103.fc2.com/tb.php/147-b4480d15

PROFILE

  職業ニート
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。