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寂しがり屋なぼくらの物語 『ROOM NO.1301 #9 シーナはヒロイック!』

「一人だったら惨めだったかもしれませんね」
 ハッキリと考えがまとまる前に、言葉になって答えは出ていた。
 もしライブの後、幽霊マンションではなく自分の家に帰っていたら。両親も、蛍子もいない、誰もいないあの家に戻っていたら。
 あんなにも楽しいライブの後だったのに、自分は一人泣いていたかもしれない。そんなことを思う。

ROOM NO.1301 #9 (9) (富士見ミステリー文庫 16-18)ROOM NO.1301 #9 (9) (富士見ミステリー文庫 16-18)
(2007/10)
新井 輝

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現実ではとても共感できないような人間(キャラ)に共感してしまう、ということが小説を読むと結構あります。どんなにゲスな野郎でも、文学的表現を用いて描けば“悩めるひとりのにんげん”に早変わり。たぶん現実では見栄や欲望が複雑に絡まってしまう“人”の本質――本人も気づいていないような人間性こそが、文学では丸裸にされるからでしょうね。
そういう意味で僕みたいな“真面目クン”にとって、文学というのは酷薄な社会を見るのに都合の良いフィルターかも知れない。
(どうせ現実は醜いんだけど)

そういう倒錯的な書き手として、代表的なのは山田詠美だと思うんだけど、僕はこの新井輝の『ROOM』シリーズもその系統で捉えてる。

主人公の健一は恋人がいるにも関わらず、成り行きに任せて何人もの女の子と関係を持ち、それを彼女には黙っている、という人間だ。しかもその中には実の姉までいて、道義的にも彼の行為は到底まともとは言えない。
でも、健一のことを「女にだらしない人間」と表現するのは、この話ではピンと来ない。なぜならお話し上、彼の行為には筋が通っていて、また今のところ、健一とセックスしたことで誰も不幸になってないばかりか、それを“救い”と考える女の子が多いからだ。綾は既存の価値観に挑戦するかのように、無邪気にただ健一を愛し、冴子は「セックスしないと眠れない」という現代的な病理のパートナーとして健一を必要とし、姉の蛍子は束の間の健一との逢瀬を胸に、残りの長い人生を生きていこうとしている。そして健一自身、「僕に恋愛は向いていない」と思い悩む、抑揚の利いたキャラとして描かれている。
総じてこの話のキャラクター達は“何か欠損を抱えた人間”として描かれ、そして「それでも幸せに生きていいんだ」という、作者の暖かいまなざしのもとで話が進んでいくように見える。彼らのいう愛情も、loveというよりは博愛主義的な仲間意識や家族愛に近い。宮台真司的な性格類型や、最近のメンヘル系の議論を色濃く反映した世界観といえる。そういう意味で葉鍵系やケータイ小説にも一脈通じる。(直接的にケータイ小説と通じるのはむしろ山田詠美だろうけど)

ただ、それだけでは同型小説の中に埋もれてしまう。この話がその中でも光るのは、2つのポイントがあると思う。

1.絵の作用による萌えキャラ化
この小説の文体自体は淡白で、あまりライトノベルらしくない。内容も、すごく内面的な言及を会話で行うことが多く、かなり文学的だと思う。その意味で山田詠美と似たり寄ったりで、たぶん文章だけじゃあまりキャラを「可愛い」とは思わないんだけど、そこにさっちのイラストが付くことで僕は全く印象が違った。この可愛い絵柄の女の子達が、実は悩みを抱えた深い人間性を持ってるというギャップが萌え系文化の中ではけっこう異色に映った。僕が知る限りでは、「萌え」を取り入れることによって作品の深みを増した一番の成功例だと思う。

2.ファンタジー要素を上手く使っている
基本的に現代劇(10年くらい昔な感じ)だけど、要所でファンタジーを上手く使っている。たとえば健一たちは、12階建ての「幽霊マンション」の、有り得ないはずの“13階の部屋の鍵”を拾うことで互いに出会い、物語に参加してゆく。作中で幽霊マンションは、特に複雑な問題を抱える子に居場所を与える“環境装置”として機能し、現実には内在化してしまう子供のメンタルな問題を、大胆な思考実験として見せてくれる。様々な事情で家に帰れない彼らが、ここでの半共同生活によって擬似家族をつくり、自分の問題に対峙するという構図はかなり斬新な仕掛けだと思う。表題となっている1301号室が「みんなのリビング」なのも象徴的だ。
また、各巻のプロローグでは未来の健一たちが描かれるが、そこでの幽霊マンションの面々は、なぜか運命のいたずらによって、どうしても再びお互いに会うことが出来なくなってしまっている。――これは大人になると、昔の仲間とはなかなか会えないということのロマンチックな比喩であり、なにか人間関係の本質を衝いているようで、僕は胸に来るものがある。

シリーズも9巻を迎え、ようやく中弛みを過ぎてゆっくりと終わりに向かいはじめた感じがする。まだすぐということは無いだろうけど、大学生活を通して読み続け、色々示唆を与えられた作品なので、最後までじっくり見届けたい。
まぁこれが完結するまで、オレの青春も終わらないな(笑)

関連記事:“超傑作”ってある?自分の心を震わせた物語
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余談。
山田詠美の『放課後の音符』がこれと似たテーマの作品だと思うので、読み比べると面白いかも知れない。これもいわゆる「パパ」とか「リゾラバ」とか、当時からの社会流動化にコミットした話としても読めるので、なかなか感性が鋭い。

放課後の音符(キイノート) (新潮文庫)放課後の音符(キイノート) (新潮文庫)
(1995/03)
山田 詠美

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BGM 古内東子「心にしまいましょう」
  1. 2007/10/26(金) 03:45:59|
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