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ぐちゃぐちゃに出来上がってしまっている世界 戦後建築史

思想 2011年 05月号 [雑誌]思想 2011年 05月号 [雑誌]
(2011/04/30)
不明

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 『思想』の伊東豊雄、山本理顕対談を読みました。
 バルセロナでは「建築が社会を変えること」が期待されていると言う伊東。ラテン・ヨーロッパの国々にはこうした気風があるという。近代建築の始祖であるル・コルビジェは、キュビズム由来の芸術としての側面と、社会変革の側面を重ね合わせて建築を作ろうと取り組み、伊東ら後進の建築家もその精神を受け継いでいるのだと言う。

 コルビジェのアトリエは前川國男、吉阪隆正、坂倉準三という3人の日本人建築家を輩出しており、日本の建築にも直接的な影響を与えた。特に前川はコルビジェから学んだモダニズムを用いて多くの公共建築を手がけ、公共性に関わる提言を行った。前川は「社会性」を主張し、「市民の主張を叶える」のが建築家であるというスタンスを明快に打ち出していたという。

 しかし前川から丹下健三の時代になると、日本において建築家の役割が変化してくる。つまり1950年代後半から60年代(昭和30年代)の経済成長と相俟って、「社会を変えること」よりも「未来のビジョンを示すこと」の象徴的な側面に役割がシフトする。それは64年の東京オリンピック、70年の大阪万博を頂点とし、現在の中国のような状況だった。

 丹下はこの時代「東京計画1960」という都市ビジョンを発表し、「東京湾を横断する巨大インフラを作り、そのインフラからさらに小さなインフラが枝のように広がって、あらゆる施設がそのインフラに接続される」というインフラを主幹とする徹底的に標準化された都市像を描いた。このようなビジョンが60年代の思想だったと言えるだろうし、この時代に活躍していた若手のメタボリズムの発想もこの文脈に則していたといえる。またたとえば、丹下はこのような都市集中のビジョンだったために田中角栄の地方分権路線とは相容れず、政治には食い込めなかったとされているが、田中の『日本列島改造論』もインフラを主幹とする標準化された都市モデルという意味では、丹下の東京計画の変奏だと言えるだろう。このようなモデルは後に「大都市と同じものを地方にも「ワンセットでそろえる」という政策が、過去30年間日本中で実現されてきたのだ!その結果、生まれたのがファスト風土だ」と三浦展に批判されるように、郊外化を引き起こす要因となるのだが、この時代においてはまだ行政官僚制を主軸とする標準化された近代社会像が素朴に信じられていたということだろう。万博で実現した丹下の「お祭り広場」は、このようなインフラの思想を体言していた。

 このような標準化の思想は、むしろコルビジェ同様に近代建築の起源とされるミース・ファン・デル・ローエに近似してくる。ミースは均質な構造体が内部空間のあらゆる機能を許容するという「ユニバーサル・スペース」の提唱者であり、現在林立しているような高層オフィスビルのフラットな空間の生みの親だが、伊東によれば彼は「建築は形態ではない、建築は時代の意志を空間に反映するだけだ」と語ったという。その言葉どおり、ミースのユニバーサル・スペースはグローバル化の意志を反映して世界中に広まり、日本においても丹下や田中に代表されるまでもなく標準化によってフラットな空間が普及していった。

 山本はコルビジェとミースの違いについて、「芸術家と仕立屋」という表現を用いて解説する。それによれば先に述べたように、芸術家が個の創造的な発見によって社会を変えることを志向し、暮らし方としての空間の新しさにこだわるのに対し、仕立屋は社会の要請に応えて市民の主張を叶えることを重視するために、最終的には経済原理に任せて“なんとでもなる”ユニバーサル・スペースに辿り着く。こうした「コルビジェ/ミース」「芸術家/仕立屋」という対比は、現代の「アトリエ設計事務所/組織設計事務所(ゼネコン)」という問題系にまで連綿と続くものだ。

 70年に万博が終わると、前年の大学闘争なども相俟ってこうした未来への期待も霧散する(三島由紀夫の割腹自殺も70年)。それは端的に言えばユニバーサル・スペース(郊外化)の憂鬱との出会いだろう。『日本・現代・美術』において椹木野衣が指摘した、反動としての「ハンパク(反万博)芸術」の気分に建築も遅れて突入していくように見える。

 60年代に「都市デザイナー」を自称していた磯崎新はこのころ「建築に未来はない」と語り、夢の終わりを印象づけた。70年代に設計活動をはじめた伊東は大層磯崎の影響を受けたと言う。オイルショックの経済停滞なども重なり、建築は内向してゆく。都市から撤退し、「芸術」「アナーキズム」「内向的」「住宅」などが主要なタームとなる。ミニマリストの篠原一男は「都市に背を向け、小さな住宅の中で閉じたユートピアを作ることだけが建築家に可能だ」と語り、安藤忠雄は「住吉の長屋」で日本建築学界賞を受賞した。同時期に伊東も「中野本町の家」という中庭型の住宅を発表して、安藤らとともに外に閉じて中庭に開くタイプの個人住宅のさきがけとなる。しかし伊東によれば「(建築は)食えない」という自分の状況が内向に向かわせた側面もあり、公共建築を手がける磯崎にジェラシーを感じていたという。

 一方磯崎は「つくばセンタービル」(写真→)など、80年代にかけて隆盛する「ポストモダニズム」の体現者となっていく。ポストモダニズムはその名のとおりモダニズムの「標準化」的な思考に対する批判として現われたわけだが、伊東によれば磯崎らポストモダニズムの建築と言うのは、結局のところ「標準化」されたプランに対する抵抗を諦め、歴史的なアイコンによって表層を飾り立てるものに矮小化していく。日本ではそのころちょうどバブルだったこともあり、ポストモダンの派手派手しい建築は経済成長のアイコン=いわゆるバブル建築として日本全国に建設される。しかし外見に反して内実は「標準化」されたユニバーサル・スペースでしかないそれは、三浦展が指摘するように個性や創造性を誘発するような「建築」ではなかった。
 後に宮台真司が述懐するように、バブルの文化を主導したのは70年代の学生運動が下火になった後に成人を迎えた、彼ら「シラケ世代」だった。シラケ世代のメンタリティは「現実はつまらないが、(政治の季節も終わったので)現実は変えられない」というもので、その代償として以前は風俗街だった場所を資本投下によって「渋谷公園通り」というオシャレな街に読み替えるような「現実の虚構化」を行った。ポストモダン建築は、彼らの今で言えば「郊外的」な文化に仕立屋的に花を添えたものの、あらかじめ断念が折り込まれた文化が社会を変革することはなかった。

 これに対して伊東と山本はポストモダニズムの原義に立ち返り、その視点の意義を救出する。ミースの"Less is more(少ないことは豊かである)"に対し"Less is bore(少ないことは退屈である)"と言ったヴェンチューリの視点をもっと的確に表現する建築があれば、それはかなり豊かなのではないか。
 こうした考えから、彼らは「(ユニバーサル・スペースである)建築を外に開くこと」「インフラに介入すること」「「生活」という言葉でライフスタイル(社会)を考えること」などの思想を獲得して自分たちのスタイルを確立してゆくことになるのである。

山本 効率のいい建築に社会性があると勘違いするかぎり、建築家はただ表層をデザインするだけの仕事にならざるをえないし、建築家の思想がその効率に対抗できるはずがないと思う。そうではなくて、その建築が周辺環境や地域社会にどう貢献できるのか、という視点で考えると、建築家は発注者の利益だけを考える役割とは相当違ってきます。



 僕なりに彼らの建築家としての歩みをまとめるなら、それは「「公共建築」という枠組みとの戦いの人生だった」という風に括れるように思う。公共建築がかつて社会的使命を帯び、未来のビジョンを示す建築だった時代を経て、それらは標準化されたインフラの一部として埋没し、果てには悪しき行政官僚制の体現であるとして批判の的となる。伊東や山本が示している理念というのは、それに対する内側からの変革の処方箋だと言える。

 しかし、ここに根本的な疑問が2つあるのではないかと僕は思っている。それは、

1.そもそも社会を変えることが望まれているのか?
2.変えるとして、それが「公共建築」でなければならない必然性があるのか?


ということだ。1について、ユニバーサル・スペースの機能主義を変革するには、インフラ(枠組み)に介入し、建築を外に開き、新しいライフスタイルを提示するという発想そのものは、とても真っ当に思える。しかし、それをどれだけの人が望んでいるのかということに対しては、僕はナイーブにならざるを得ない。たとえば「建築を外に開く」ということは、どんなに工夫したとしても、熱効率や管理という機能主義的価値観では機能が劣るということに他ならないし、ゆくゆくはそれがコストに跳ね返ってくる。また、「○○っぽいものが欲しい」というように、人々が標準化(キャラ消費と言い換えてもいい)の欲望に抗い難いことは厳然としてあり、山本が公共建築の設計においてコンフリクトを起こし「多目的ホールは無目的ホールに堕落します」と言われてしまったのは、建築家が仕立屋以上の役割を求められていないことの証左であろう。これをラテン・ヨーロッパや日本の一部の個人住宅がそうであるように、「建築が社会を変えること」を期待されるようになるには、まず公共建築にかかっている行政官僚制(公務員)の圧力をいくらかでも和らげてやらなねばならないように思うのだ。

 話はやや脱線するが、日本のオタクカルチャーのクオリティーというのは、こうした標準化の圧力によって担保されていると言えるだろう。いわゆる「萌え豚」が買い支えると同時に「作画崩壊しない」、ある一定ベクトルでのクオリティーバブルを求めた結果生まれたのがアニメ『けいおん!』であり、ある一定の絵柄での洗練を求め短期間で萌え絵のクオリティーの底上げに貢献したのがpixivランキングである。オタクカルチャーに限らず、日本的細やかさの源泉になっているのはこうした集合無意識的な標準化への圧力である。伊東は「精度のよすぎる社会」としてこれらを批判するが、必ずしも欠点とは言えないことがこの問題をややこしくする。

 次に2についてだが、以上のように公共建築にかかる標準化の圧力はかなりのものである。そんな中であえて「公共建築」にこだわって社会の変革を目指す意味は何なのか。現実的な話をすれば、そうはいってもやはり公共建築がそれなりに自由度が高く、規模が大きく、自分の理念を示しやすいクライアントであるからに他ならないだろう。民間というのは資本の論理であり、建築家は資本の流れの中で表層のデザインに追い込まれながら仕事をせざるを得ない。
 しかし社会状況が逼迫する中で、公共建築だけが特権的に予算を優遇されるような環境には最早なっていない。したがって山本がそうだったように、公共建築に対して「社会に資しているか」、いやそれ以前に「標準化以上のものが求められているのか」という厳しい視点での追求がなされることは何ら不自然とはいえない。
 また、民間による資本の論理をマネーゲームとして見れば、それはサブプライムのように流されるのが危ういのは確かである。しかし、そうした資本の流れを「必要の用」として見るならば、たとえばショッピングモールやマンションに新しい公共や社会性を見ることも不可能ではない。むしろ磯崎やレム・コールハースが体現するような可能性の中心は、こちら側にあるように思われる。問題は、こちらはこちらで資本(価格)による「精度のよすぎる社会」に縛られていることである。

 この対談を読んで確信したのが、建築に対する争点というのが「変える/変えない」のみならず、その前哨戦としての「建てる/建てない」の時点から既にはじまっているということだ。仕立屋として標準化の設計に貢献するだけでは、決してこの「変えなければならない」と言う人と「変えたくない」と言う人がずれ続ける状況に介入できない。伊東や山本はネームバリューによって変えようとするだろうが、一方椹木が言うように「上から」の圧力に抵抗するときのこの国の下層中産階級のパワーにもすごいものがある。
 状況が変わるとすれば、それはむしろ変えようとして変わるのではなく天変地異で変わるのではないかという気がする。「3.11が人災である」という意味は、誰かが怠慢を起こしていたというよりは、私たちの社会の標準化圧力がそれだけ抗い難く、かつ大した根拠がないことが明らかになったということだろう。大塚英志は震災に共振して社会設計の不備を指摘する磯崎に嫌悪感を示したが、かといってそのまま元どおりに再建するだけの根拠もないというのが実情に思える。

 「私たちの目の前にあるのは、何かぐちゃぐちゃに出来上がってしまっている世界である」と言ったのは上遠野浩平だったと思うが、上遠野の描いた物語のように社会の変革が暗黙のうちに阻止されていくこの世界にも、やはり「ブギーポップ」が棲んでいるのかも知れない。


関連記事:コンテクストの現地調達 ―建築、pixivランキング―
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  2. 2011/08/08(月) 02:40:00|
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前回の記事に関して

 一部で僕がカオス*ラウンジ関係者ではないかという話になっているようなので説明します。

 まず、僕がカオス*ラウンジの活動を手伝ったことについては事実です。特に隠してもいないのですが、「はめつら!」展示会場の人と仲が良かったので、個人的に雑用として手伝いました。

 次に、僕はカオス*ラウンジのメンバーではありません。カオスの作品は好きですが、関係者とはTwitterでほんの少し交流があるのみです。いわゆる取り巻きというのがぴったりでしょうが、かといって別に重用されているわけでもなく、向こうから何か連絡が来たこともありません。

 したがって、前回のカオス*ラウンジに関する記事はあくまで僕の個人的な感想であるし、そもそもあまりカオス*ラウンジに利がある内容とも思えません。記事について、「中立的な立場でよくまとまっている」という感想もいただきありがたいのですが、かなり祭り気味に広まったこともあってこのへんの僕の立場がよく伝わっていない面もあるかと思います。それは僕としても本意ではありません。

 以上ご理解ください。


関連記事:カオス*ラウンジは日本現代美術の優等生であり、pixivは悪い場所の現在形であること。
  1. 2011/08/03(水) 22:04:00|
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カオス*ラウンジは日本現代美術の優等生であり、pixivは悪い場所の現在形であること。

戦後の日本において、問題は吟味され、発展してきたのではなく、忘却され、反復されてきたということ、そして、いかなる過去への視線も、現在によって規定され、絶え間なく書き直されている以上、過去を記述する条件として現在を前提にせざるをえないということを挙げておく。
(P25)


日本・現代・美術日本・現代・美術
(1998/01)
椹木 野衣

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関連記事:カオスラウンジによる、pixiv公式企画『pixiv×第七回博麗神社例大祭』受賞作品の無断商用利用まとめ

 たまたま『日本・現代・美術』を読んでいたらカオス*ラウンジが炎上したんですが、果たして今回の騒ぎに乗っかっている人でこの本を読んでいる人はどれくらいいるんだろう、という感想を持ちました。
 日本の美術界が歴史を忘却した「悪い場所」であり、海外と隔てられた「閉じられた円環」を形づくっていることを指摘した本書は美術界では大変評価の高い1冊ですが、この本を読むとカオス*ラウンジが如何に日本の戦後美術の寵児か(もちろん悪い意味でも)ということが分かるし、彼らの活動、および騒動のことごとくに前例があることが指摘できます。そして冒頭の言のように、それすら忘却されている現状があるのです。

パクリ

絶対的な価値の根拠から切り離された近代人の本性を、その「彼方」としての「ポストモダン」状態にまで推し進めることによって、すべての人と事象とを問わず、本物(オリジナル)とか偽者(コピー)とかいった不毛な二元論を超え出た怪物(シミュラクル)に「生成変化」させることを提示し、そのためにはあらゆる現象が、自在に採取(サンプリング)や分断(カットアップ)、そして反復(リミックス)できる原子素までに一様に分解されることを提案した
(P18)


 椹木はこのような概念を「シミュレーショニズム」と呼びますが、これは10年代の私たちにとっては直感的に理解できるでしょう。つまり二次創作のことです。ニコニコ動画などでは、主に東方やボーカロイドのキャラを媒介とする二次創作が盛んに行われていますが、これらは初音ミクなどのキャラを核としながらも、ただのオリジナルのコピーに留まらない多様な魅力を発揮しています。カオス*ラウンジの想像力はこうしたデジタル世代の複製文化――ニコニコ動画やDJのサンプリング――に根ざしており、それに染まった人間の在り方を現代アートに提示しているわけです。

 今回、梅ラボがpixivの他人の作品を無断で素材として使用し、さらにそれにpixivの組織的関与が疑われて炎上しましたが、その結果カオス*ラウンジ作品の「踏み絵」や「水掛けアート」などにも飛び火して非難が集まりました。これらの非難は概ね「他人の作品を切り刻むなんて許せない」「作品に愛がない」「ただのコピペじゃないか」といったものですが、ある意味その反応自体は想定内といえます。むしろ一般人が現代アートを観たときのテンプレといえる。

現代美術の無根拠性

近代において芸術は、キリスト教美術がそうであったような意味では、価値を決定する根拠を喪失している。根拠を喪失しているとここでいうとき、わたしが含めていっているのは、芸術が成立するための根拠それ自体を問うことが近代芸術の条件であるのはもちろんのこととして、それに加えて、体系の体系性は根拠に据えた前提の絶対性にあるのではなく、いかなる恣意的な前提もそれを扱う一定の手続においては十二分に根拠足りうるという、形式化の問題が前面化したということである。
(P38)


 価値の自明性に疑いを差し挟まないことが近代以前だとすれば、それ以後の社会は複雑化していると言えるでしょう。美術においては写真の登場や、デュシャン、ピカソ、ポロックらの活躍が大きな転換点となりました。その転換とは総じて「がんばって絵を描くことには意味がない」というものです。リアリズムの追求ということであれば写真のほうが遥かに優れているし、デュシャンは工業製品の便器ですら美術館に飾ればアートたりえてしまうという「アート」の枠組みそのものを問いました。ピカソはキュビズムで現実的な遠近法を放棄して平面に立体を描き、ポロックはキャンバスに絵の具を垂らすことで「描かないで」表現しました。このように「根拠それ自体を問うこと」が現代アートという「ゲーム」(村上隆)の条件となっているわけです。こうしたゲームのプレイヤーとしてはカオス*ラウンジは優等生であり、かつpixivの萌え絵と違ってアートマーケットで作品を発表するという手続きを踏んでいるので、(ゲームの前提自体がアレだとしても)現代アートたりうるのです。

 したがって同人界隈の「他人の作品を切り刻むなんて許せない」「作品に愛がない」「ただのコピペじゃないか」というカオス*ラウンジ非難は、カオス*ラウンジ単体にとどまらず現代アート界全体に対する嫌悪の表明となるでしょう(この関係はリニアであり切断はあり得ない)。しかしそれは諸刃の刃であることを非難する側は自覚したほうがいい。なぜならば、それらが根拠とする日本近代美術や日本近代文学、オタク文化といったものが、もとを辿れば近代化の折にフェノロサや北村透谷らによって強引に作り出された(起源の捏造)、あるいは敗戦後の欧米化のなかで奇形化した「滅茶苦茶、ばらばら、アンバランス」なものであり、その無根拠さを忘却した欺瞞こそを現代アートは攻撃しているからです。したがってそれらが体現する「美」というのも客観的には無根拠であり、現代アート同様に手続きの問題に還元されてしまうのです。

美とは忘却に基づくものだといってよい。多様の物事が生起する共生状態を忘れること、おのれの内面のとば口に刻まれた深い分裂の傷を忘れること、自分が生まれ、食らい、死ぬ場所が群島であるということを忘れるまさしくそのとき、それら「醜」の要素に代わって「美」が立ち現われるのだ。いずれにせよそれは、トンネルを抜ければそこに、別の人、別の文化、別の言語ではなく、雪国という仮想現実(ヴァーチュアル・リアリティ)を捏造してしまう「美しい日本の私」を生み出すことになるだろう。
(P73)

根拠を要することなく生きていくことが近代人の条件であるというのは嘘で、正確にその条件とは、根拠を要することなく生きていくことが近代人の条件であるにもかかわらず、だれもそのような宙づりに耐えることができないという二律背反なのである。
(P19)



犯罪性とアート 赤瀬川裁判
 同人界隈の狭い見識はさておき、カオス*ラウンジの作品には著作権侵害の問題が残ります。これについては赤瀬川原平の「千円札裁判」が先例になるのではないかと思われます。
 椹木によれば、1960年代に赤瀬川が千円札を印刷したものをアート表現として用いたものが裁判沙汰となり、最終的に最高裁で上告棄却され有罪が確定しますが、この裁判では芸術と法律の位相が争点となりました。結局「『本件模造紙幣』がどのような芸術的評価をうけようとも、それは『既に犯罪既遂後のいわば情状というべきもの』で、『仮に本件模造千円札の製造行為が芸術行為であるとしても、憲法の保障する自由は無制約ではなく、その濫用が禁止された公共の福祉の制限下に立つものである」として、つまり芸術であろうがなかろうが犯罪は犯罪なので有罪となったわけですが、逆にいえば当たり前ですが、犯罪性の有無が芸術性の有無を規定するわけでもないでしょう。

 そもそもなぜ現代アートが犯罪まがいの事件を起こすのかといえば、それは制度としての美術館を否定しているからです。この頃の赤瀬川らは「反芸術」と称して街頭でのパフォーマンスを繰り返していましたが、それは美術館というシステムを批判したという意味でデュシャンの問題系に連なるものだし、安全な箱庭の中で起源を忘却した「芸術」に対するアンチだったのだと言えるでしょう。そのため彼らの活動は街頭に出て、しかもいかにもそれらしくイーゼルを立てることでも、ハナから芸術と程遠い無差別テロを行うことでもなく、その中間領域の微妙な「偽札」や「清掃」などのどっちとも言い難いパフォーマンスを行うことによって、いまだ不確定な芸術/非芸術の境界をめぐる「不在の芸術」を探求していました。椹木によればこうした赤瀬川の活動は、デュシャンの文脈に加えて偽札などに顕著なように、国家による権力の無根拠さ(紙幣制度自体が国家という幻想に担保されている)すらも指摘するものだったのです。

 そしてこれらの赤瀬川の活動とカオス*ラウンジの活動は完全にオーバー・ラップするものです。「アーティストではない(ギークだけど)にも関わらず、アートに目覚めてしまった」という彼らの活動は、美術館ではなくネットを基盤にしているという意味でも、著作権という権力の欺瞞を指摘していると言う意味でも、(それが犯罪であろうがなかろうが)「不在の芸術」を探求していると言えるでしょう。

騒動とアート
 今回の炎上のような「祭り」をカオス*ラウンジはくり返してきていて、それ自体「炎上マーケティング」じゃないかと揶揄されていますが、同時代を生きる村上隆やChim↑Pomなどの活動を見ても、既存の体制の欺瞞を指摘するという性質上、ことあるごとにあちこちで問題を起こすというのは現代アーティストの宿命のようです(福嶋亮大はレディー・ガガをコマーシャリズムを批判するアーティストとしてカオス*ラウンジと比較した)。

 こうしたアーティストの騒動性というのは、近代における日本の芸術黎明期にまで遡れるといいます。日本の前衛芸術はのちの昭和のテロリストたちと同様に、大正期の民衆運動の中から誕生したのではないかと椹木は指摘します。この両者に共通するのは、「上から」のお仕着せの芸術や国粋主義への抵抗として下層中産階級による民衆運動が組織され、そうした民間芸術団体や右翼が「騒動(ハプニング)」を武器としたという点です。そしてその根底に流れていたのが、近代に抵抗する前近代的な仏教思想と、それが近代をすっ飛ばして超国家的な共同体(大東亜共栄圏?)を志向するウルトラ・モダニズムだと言うのです。日本のダダイズムは起源において、このように前近代と後期近代(ポストモダン)が近代(モダン)をキャンセルして結合するという奇妙な誕生の経緯を持っていました。
 このねじれは、騒動性とともに日本の前衛のなかに受け継がれていきます。たとえば戦後の前衛の祭典として名高い「読売アンデパンダン」は、反芸術の実験場として破壊の限りを尽くしたとされますが、それを読売が支えきれなくなって中止になると同時に反芸術の熱も霧散してしまいます。つまり本家フランスのアンデパンダンが近代の超克を目的として継続していったのに対し、日本のそれは結局は近代資本の制度に甘える前近代的な群衆に過ぎなかったという指摘です。

 このような状況は、東浩紀が「動物化するポストモダン」として指摘するように現代においても簡単に指摘することができます。pixivというシステムに依存しながら、ひとたび問題が起こると文句を垂れながら右往左往する「群集」はこの国の民衆像として非常に既視感を覚えるし、またカオス*ラウンジもこうした悪い前衛性を「閉じられた円環」の中で繰り返している――その意味で忠実に「日本的」であると感じます。

本来ならば人のまねをしてでも、近代芸術の原理を地道に習得し、その内部から作品を再構成すべきところを、いきなり近代の超克を使命としていいわたされた若者たちにできることといったら、あらゆる総花的なアイディアを総動員して繰り広げられるテロリズムの文化形態のほかに、いったいなにがあっただろうか?
(P197)



まとめ
 村上隆のカオス*ラウンジに対するテクニカルな批判はこの点につきるように思います。つまり、日本の前衛の悪癖として見られる近代を経ていないが故の適当さと、それに伴なうクオリティーの低さです。昨今の村上はクオリティー重視であり、本人が渡米して変わったと言うように日本の前衛の文脈とは離れているように思います。

 今回『日本・現代・美術』を読んでみて、指摘した点以外にもカオス*ラウンジに共通する点がたくさんありました。出自から考えても黒瀬陽平はこの本を重要なテキストとして参考にしていたように思えるし、天井桟敷を例に出していたことからもこうした日本的前衛を目指していたのではないかと感じました。
 その試みは半ばまでは成功したのではないかと僕は思いますが、著作権問題で躓いて赤瀬川と同じ運命を辿ることになったというのは皮肉といえば皮肉です。
 「仁義」とか「倫理」とか僕は大嫌いだし、そういう批判はナンセンスだと思うのですが(だってそういうこと言うヤツが倫理的だった例しが無い)、そういう日本的大衆の残念さに日本の前衛自体が立脚している構造的問題があるんだな、とこの本を読んで感じました。


関連記事:東方ProjectのZUN氏が現代アートについて(少しだけ)興味を持った事と、その周囲の反応


 ZUNがこの件に関して少しだけ言及しているのですが、既に指摘もあったようにこれにはカオス*ラウンジと東方同人を選別して切り分け、東方同人だけを保護するという意図を感じて何だかなぁ…と思いました。
 僕はそれよりも歴史を忘却した「悪い場所」の表現としてはこちらのほうが好きです。

幻想郷は外の世界の恩恵に身を委ねているから自由気ままに暮らせているのだ。その事は、外の世界の品を扱っている僕だからこそよく判る。
 自分たちは幻想郷に閉じこもりながら、外の世界から都合の良い物だけを受け取り、自立している振りをしている。それは、もし外の世界が滅べば幻想郷は道連れになってしまうという事を意味している。その上、幻想郷にいては外の世界に影響を与えることも出来ない。幻想郷に住む者たちが外に出て行かず小さな場所で生活しているのは、それが一番楽である事が判っているからだ。

(『東方香霖堂』)


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  1. 2011/08/02(火) 01:57:00|
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