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639日目 仕事納め的な

最近あちこちで「このブログは素人にはオススメできない」とか「お前のブログを見てると頭が痛くなる」とか言われるんですが、何のことだかさっぱり分かりません。このブログは老若男女、日本国民全員におすすめできる素晴らしいものです。特に1こ前の記事とか最高でしょ(笑)

…あ、というわけで今年は締めます。来年もよろしく。m(_ _)m
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  2. 2008/12/29(月) 07:37:02|
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636日目 キチガイはブタ箱にぶち込め!

途中で切った『ef』をまとめて観てる。9話まで観ていま雨宮が死んだ。ざまぁw
これ観てひたすら思うのは、とにかくこうなる前に「通報しますた」しろよってことなんだよね。もう十分にみんな狂ってるから、警察なり精神科なり社会的に整備されたインフラ使ってくださいよと(笑)。精神科ぐらい今どきフツーですよ、僕も行ったことあるし。とにかく何事も抱え込まずにソーシャルに対応するのがよいと思います。

変ゼミ 1 (1) (モーニングKC)変ゼミ 1 (1) (モーニングKC)
(2008/07/23)
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前から気になってた『変ゼミ』買った。正月に実家で読もうと思います。この本自体はリニューアル版らしいですね、けっこう前からあったみたい。最近は「僕も私も変なんです。あたしメンヘル系」みたいな想像力が前景化して、ぼくらみたいな人間にはホント生きやすくなったなぁって気がしますよね。

【みのもんたさん】女房「あなたはよくやった」と 一問一答 MSN産経ニュース
みのもんた「おもいっきり」降板。リア充め、おつかれさま!。・゚・(ノ∀`)・゚・。
  1. 2008/12/26(金) 20:32:10|
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世界の果て=90年代の渋谷センター街

僕が生きていくのが最も困難なのは、アフガニスタンでも南アフリカでもなくたぶんここ。いま思い返すと本当に渋谷のギャル文化が苦痛で仕方なかった。たぶん「ここで暮らせ。一歩も出るな」とか言われたら3日もたない気がする…w
もちろんあくまでイメージであって、冴えない地方在住のオタク少年が見た(錯覚した)世界なんですけどね。現実には渋谷は雑多な街であって、『東京から考える』で東浩紀が告白しているように、ギャルの合い間を縫って、点在したオタショップ求めて彼のようなオタクがたくましくサバイブしていたわけですよ。そして僕が東京に出てくるのは、そんなのもすっかり落ち着いた2003年の春。

しかし、イメージというのは恐ろしくて、地方に住んでるとメディアから流れてくる情報は東京=シブヤ、ギャル、万引き、援交、B-BOYみたいな感じになってしまうわけw 今挙げたの全部大っ嫌いなんだけど。そうするとなんだか自分の生きてる世界がディストピア(地獄)みたいに見えてくる…当時僕の中では、東京に出たら1日1回は人が殺されるのを目撃して、イケてる女の子はみんなギャルで、ヤリまくってて、クラブで薬キメて乱交パーティーと援助オヤジとのセックスをローテーションしてるのがジョーシキみたいに思ってた。
ね、死にたくなるでしょ?w

そのほかに90年代当時のメディアが発信してたイメージを思い出してみたんだけど…
・渋谷センター街の初体験年齢は平均12歳
・女子高生の9割がテレクラ電話経験があり6割が援助交際している
・高校生の8割が万引き経験あり
・ギャル、B-BOYが若者の正装。クロムハーツ、ミルクボーイ、ナイキのバッシュは神器


とかかなぁ。今思い出すとメチャクチャだよね。この頃の偏向報道のイメージが強くて、僕の中では朝日に限らずマスはみんなゴミみたいな印象がある。マジであの頃のメディアは一体何がしたかったのかと。あと漫画とかでいうと思いつくのは『センチメントの季節』『ハッピーマニア』『3・3・7ビョーシ』あたりだよね。あのへんは個々に見たら作品として面白いのもあると思うんだけど、もう雰囲気で勘弁してって感じ。クラスの女子とか化け物にみえてくるw

センチメントの季節 (2) (Big spirits comics special)センチメントの季節 (2) (Big spirits comics special)
(1998/10)
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ハッピー・マニア 1 (祥伝社コミック文庫)ハッピー・マニア 1 (祥伝社コミック文庫)
(2001/05/25)
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3.3.7ビョーシ 1 (1) (少年マガジンコミックス)3.3.7ビョーシ 1 (1) (少年マガジンコミックス)
(2001/11)
久保 ミツロウ

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↑いま見て思ったけど作者の名前がみんなカタカナなのね。「カタカナ作家」と呼ぼう(笑)

…まあさすがにそこまでマジで思ってるのは僕がバカだったからだと思うんだけど、でも少なくとも社会全体がこういう空気を共有してたってのは言える。振り返ってみると2ちゃんの隆盛にしろ純愛エロゲーのブームにしろ、その後ギャル文化と入れ替わりで流行ったものってのは、すごくこういうものへのカウンターな気がしていて気持ちわかるし。僕が住んでいた田舎でも、ギャルそのものズバリはいなかったにしろ、「あーいうのがフツーで、出来ないヤツはダセェ」みたいなことは大なり小なりみんな感じてたんじゃないのかな。特に男のファッションがひどいんだよね…田舎ってカッコイイやつはみんなヤンキーファッションだったからさ(スケーターってのもいたね)。僕は脱オタファッションするのに苦労した人間なんだけど、それもこれも全部ストリートカルチャーのせい。『メンズノンノ』なんて知らなかった!少なくとも悩める思春期のオレのところまで届かなかった!だって本屋で見なかったもん。売ってたのは『Boon』とか『Get On』とか『Smart』とか(いまの『Smart』ってテイストどうなんかね?)。「先端人が連射!」とかアタマの悪いキャッチ読んだら真似する気なんか失せるっつーの。死んでしまえ!!orz

このあいだ実家帰った時にコンビニ行ったら、雑誌の棚に『メンズノンノ』が置いてあって僕は心から「よかったぁ~」と思いました(笑)。あとユニクロが全国展開すんのもマジで応援する。未開の僻地にコンサバファッションをもたらしてくれ。

声を大にして言いたい、地方在住の若者は『Boon』とか買わないように(廃刊らしいけどさ)。悪いこと言わないから『メンズノンノ』とか『FINE BOYS』にしときなさい(笑)。


追記
あと、地方にいると東京ってすごく怖いとこに見えるかも知れないけど、そんなことはありません。秋葉原で人を刺し殺したり、大学で大麻吸ってタイーホされるDQNもいるけど、ごく一部です。人口が多いから目立つだけ。おおむね、にぎやかで良いところです。家狭いけど。


MEN'S NON・NO (メンズ ノンノ) 2008年 12月号 [雑誌]MEN'S NON・NO (メンズ ノンノ) 2008年 12月号 [雑誌]
(2008/11/10)
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  1. 2008/12/26(金) 01:56:48|
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最近の読者はリテラシーが高すぎてテンプレなら語る必要すらないよ、ということ

220~223時間目 (1) 現代の受け手は「我慢がきかない」?~過去編の位置づけをどう考えるか? 物語三昧~できればより深く物語を楽しむために

たぶん漫画などエンターテイメントの市場が成熟くしているので、かなりの消費者が物語の類型にかなり慣れ切っている・・・つまり、あるエピソードを書いた瞬間に、その帰結まで予測してしまうというリテラシーの高い消費者が多いが故に、そうでなくても週刊レベルで読者をあおりたてなければいけない週刊連載システムに、かなりの強い圧迫が加わっているんじゃーないかと思うんですよ。同様のもので、僕はつい最近終わったアニメーションの『コードギアス反逆のルルーシュ』を思い出さずにはいられません。あれもそういったジェットコースター感覚を感じずにはいられませんでした。


僕も似たようなことは漠然と思っていたのだけど――↓
日本刀持った女子高生のリアル。

僕のように「またこのパターンかよ、こんなの全然リアルじゃない」と散々文句を言っているヤツもきっと多いと思うし、僕にとって物語の関心というのは、その人たちをどうしたら救えるのか、ということに尽きる。


たぶん多くの人が漠然とは感じていたことだと思うんだけど、ペトロニウスさんのように端的に指摘されるとハッとする。やはり鋭い。

「物語」がたやすく成立し、氾濫している現在の状況では、すでにパターンは出尽くしていて、個々の作品はその順列組み合わせに過ぎない。そういう感覚は、日常的に大量の物語を摂取している僕らオタクにとっては当然の感覚になりつつある(データベース消費)。そしてその前提のうえで作品を楽しむには、さながら好みの雑貨を収集するように好みのパーソナリティを持つ萌えキャラを漁り続ける「キャラクター消費」か、あるいは『コードギアス』のようにそういうパターン(選択肢)の組み合わせ状況に自覚的で、さらにそれの裏をかいていく姿勢を持つような「メタ物語」を志向するしかない、というのが東浩紀が『ゲーム的リアリズムの誕生』で指摘していたことだと僕は思う。
ペトロニウスさんが指摘してるのは『ネギま』なんだけど、僕はちゃんと読んだことはないけどたぶん『ネギま』はそれほどメタ志向を前面に押し出した作品ではないと思う。むしろマガジンでの週刊連載という形態上、どちらかと言えばキャラ萌えとかエンターテイメントとか、比較的軽い欲望をバックグラウンドに成立している作品だと考える。ペトロニウスさんはそうした状況下で、『ネギま』はおそらく語れば熱かっただろう、しかしテンプレの感を免れないエピソードを大胆に端折ったとして、それを「描きたかったものを思い切って捨てた。それは“経営的に”巧いな」みたいな論を展開している(あくまで僕の印象ですが)。

ただ、ペトロニウスさんは自身書いているように経営側――管理職的なポストの人――だからそういう発想は自然だと思うんだけど、僕からしてみればあまりそういうものにクリエイティビティは感じなかったりする。特に、赤松健にはあちこちの発言を見ているとエンターテイメント畑の人だという印象が強い。…僕自身ハンパな人間だから確信はないんだけど、クリエイターにはたしかにそういう妥協も必要なんだろうけど、一方でリクツ抜きに何かを信じている、揺るぎない超越性みたいな部分が必要なんじゃないかという気がする。
僕が思うのは、ある種カルト化すればそういう読者のマンネリズムは超えられる気がするんだよね。要するに本質(ドラマツルギー)の部分が読者自身の内面の問題を扱っていれば、「これ飽きた」とは言えないはずで。それが結果的には既存のパターンを超えることにもつながるんじゃないか。――それが出来てないってのは、結局どこか、テーマの本質の設定がまんが・アニメ的リアリズムの枠組みから抜け出せてないというか、ぶっちゃけテーマが陳腐で読者の子たちのリアリティに響いてないんじゃないか、という気はする。あるいは「日本刀を持った女子高生」とか、「直死の魔眼」とか、漫画アニメ的なギミックを用いた語りがテーマの本質を読者から乖離させてしまうんじゃないか、というのを最近思う。「こんなの僕の人生とは関係ない」とかね。(これは一般的な印象であって、『ネギま』は読んでないので何とも言えない)

もちろん「週刊少年マガジン」という雑誌自体が、おそらくそういうカルトな語りは好まないとは思うんだけどね。だからこれは『ネギま』をどうこうしようという話じゃない。
あと「リアル」っていうのもよく分かんないんだけど、少なくとも僕は西尾維新とか、奈須きのことかの作品に「お、これは今までと違うぞ」「テーマがリアルだぞ」っていうのは感じないんだけど、その一方で彼らが扱う「人殺し」っていうイベント自体は、すごく思春期の感情に刺さるものを持ってる気がする。――ただ、それを物語りにしちゃうとただのチャンバラになっちゃうから、難しいなと思うんだけどw


ゲーム的リアリズムの誕生~動物化するポストモダン2 (講談社現代新書)ゲーム的リアリズムの誕生~動物化するポストモダン2 (講談社現代新書)
(2007/03/16)
東 浩紀

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  1. 2008/12/22(月) 21:07:13|
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632日目 いまpixivで流行ってる企画がすごい

その名もにがおえバトン。何の似顔絵かって自分の似顔絵。しかも右の僕の絵みたいなデフォルメとかじゃなくて、6~8頭身くらいのけっこうガチのヤツ。身長とか、着てる服のデザインとかかなり詳細に描き込んだファッション・チェック的なものを晒し合ってる。

ざっと見たかんじ男は自虐系とか痛いヤツが多いんだけど、女の子は可愛い子が多い。あと「安物ですぅ~」的なへりくだり競争の結果なぜかしまむら大人気。これどこで売ってると思う?w

昔はネットに自分を晒すこと自体勇者だったのに、この場合さらに自分で自分の絵を描いて、しかもたぶん美化120%くらいでメモ書きとかもいっぱいつけてるわけですよ、どんだけってかんじ。間違いなく10年後とかに見たら死にたくなるレベルだと思うんですが、pixivという閉鎖コミュニティの中だからやれちゃったんだろうな~。
僕も参加するのはやぶさかではないんですが、pixivでもニートって名乗っちゃってるんで、がんばっちゃってもたぶん視線が痛い…w ニート乙!

めんどくさいんでこれ以上言及する気ないんですが、y_arimとかはてなで記事書いてくんないかな。
  1. 2008/12/22(月) 01:28:01|
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630日目

藤村龍至インタビュー読んだ。

いま、世界が注目するニッポンの若手建築家たち
Vol.1 藤村龍至インタビュー 都市へ、そして風景を超えて──
 OPENERS

──藤村さんは非常に社会性のある建築家だと思うのですが、たとえば東京という街の現状を考えたときに、建築家一個人ではどうにも出来ない状況もあるなかで、空想の世界に逃げずにいかにその問題に正面から向き合うか? ということに真剣に取り組んでいる方だと僕は思うんですね。一見無機質にみえるのですがヒューマンスケールで建築を考えているのかなと

藤村 現実を信じる態度というのはすごく大事だと思っています。周りの環境がそれほど良くないというときに、それをなかったことにするというのではなくて、現実に潜む可能性を活かすような建築をつくりたいんです。

──でも同世代の建築家の方々や、都市を研究している社会学者の方、ジャーナリズムを巻き込みながら、それがやや閉塞感のある都市問題を建築家の視点から変えていってくれそうな予感を、藤村さんはもっていらっしゃる気がしています。たとえば60年代に丹下さんや黒川さんがされていたことや、黒川さんが晩年、政治に接続しょうとしていたことを含めてどのように考えていますか

藤村 建築家が社会と接続するというときに幾つかやり方があると思います。ひとつはコンセプトを提示すること。次にマスメディアと接続すること。そして政治的な活動をすること。それは年齢でいえばだいたい30代、40代、50代に対応していると思います。建築家としてのキャリアを重ねていくことによって社会との接続しかたは変わっていくと思うんです。その意味で黒川紀章さんが晩年にああやって政治に接続していこうとしたことは非常によく分かる話です。


空想の世界に逃げずに…空想の世界に逃げずに…空想の世界に逃げずに…orz
  1. 2008/12/20(土) 20:20:49|
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ポップカルチャー・テロリスト

Dream Fighter(初回限定盤)Dream Fighter(初回限定盤)
(2008/11/19)
Perfume

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Perfume『シークレット・シークレット』 the deconstruKction of right

   「本当のキミを知りたい」と、切なくこのパフュームのアイドルに思うのだが、それは人工的で作り物であるからこそ「本当」への欲望が加速するのだろうが、「切なさ」の正体が、案外、消費社会に消費され、規律訓練を受け、あっという間に年をとり可憐ではなくなると言う少女の身体性に依存しているところが随分と馬鹿馬鹿しい気がするのだ。「本当」への志向を、アイドルへの欲望と、消費に向かわせると言うことで、マーケティング的にこれは非常に上手いとは思うのだが、その「消費」の回路こそが外部を閉ざすと言うことに無自覚、もしくは意図的に罠を掛けている。どちらかというと僕は「リアリティ・スタジオを急襲せよ」(マキャフリィ)と言いたくなる。本当を志向するが故に本当に永久に辿り着かなくなるという無限の罠がここに仕掛けられている。そもそも、一体どうすれば「本当のキミを知った」ことになるのか。アイドルと同じ時間・空間を共有したらか。手記を読んだらか。ブログを読んだらか。一緒に飲んだらか。付き合ったらか。セックスしたらか。セックスという「外部」は本当に外部で、「本当」なのか。


元記事の方の主張は「だから僕はPerfumeに乗れない」という話なのですが、僕はまったく逆の話として受け取りました。ちょっと長めに引用してしまい申し訳ないのですが、↑のくだりを読んで僕はますますPerfumeが好きになってしまった。僕の中で長澤まさみのピークが映画『タッチ』だったように、Perfumeのピークは「エレクトロ・ワールド」と偶像に成りきれなかった不遇なアイドルのメイクドラマという彼女たち自身の物語であって、もはやそれは彼女たちがスターダムに乗ったことによって終わりつつあるのですが、それすらも含めてある種の「切なさ」「萌え」を醸し出している、ということに気づいた。
ようするに、彼女たちもきっとだんだん芸能人じみて汚れてくだろうし、あーちゃんの愛らしい性格ものっちの端正な顔もいつかは歪んでしまうのだろうけれども、だからこそ今のPerfumeがすごく愛しいということですね。naoya_fujitaさんはそこに興味が無いということなんだけど、オタクな僕にとってはそれは正しくゼロ年代の後期セカイ系の文脈に則っている気がして、重視したいわけです。たぶんこれは最近話題の『かんなぎ』の処女性にまつわる問題と根が同じ気がする。さしずめ「大人への階段2.0」ですね。

「ポップカルチャー・テロリスト」

   さて、そういうリアリティ・スタジオを強襲する、「ポップカルチャー・テロリスト」なるものが必要になってくるとすると(そう思うこと自体が作られているという批判はアリ)、先日の東工大の突撃事件は「実在」に至ろうとするポップカルチャー・テロリストであり、トリックスターだったのでしょうか。


「リアリティ・スタジオ」と「ポップカルチャー・テロリスト」の意味を知らないので、ちゃんと理解できているかは心許ないですが、naoya_fujitaさんの論旨を辿るなら、ようするにPerfumeの歌うような作り物っぽい(書割り的)世界観に切なさを感じるのではなく、そういうジャンクなポップカルチャーで遊びながらノリノリで作り物くさい世界をぶっ壊せよ、政治運動とかしろよということなんでしょうか。それに賛成するのかはここではひとまず置きますが、個人的にこのポップカルチャー・テロリストという言葉にはすごく惹かれますね。イメージ的にPerfumeや初音ミク、ニコニコ動画にコードギアスにブログ論壇に秋葉原殺人事件まで、そういうものをすべて「既存のリアリティを打ち崩すもの」として内包できる言葉という気がする。たとえば非正規雇用やニートとして、現実から疎外されているがゆえにポップカルチャーに逃避しているのが僕ら若者だと見れば、「ポップカルチャー・テロリストになれよ!」という言葉はすごく魅力的に聞こえる。重ねて言いますが、僕は鈴木謙介の『サブカル・ニッポンの新自由主義』を読んだこともあって、それが正しいのかは分からないのですが。

ただ、話はそれますが、僕がいま描いてる漫画のテーマがまさにこのポップカルチャー・テロリストなんだということにこれを読んで気づいた。最近よく書いているように、少年ジャンプの漫画や学園異能モノの物語が「リアル」を全然描けていなくて、それに対して救われない一部の読者層が不満を抱えているんじゃないかと僕は感じていて、その不満をテンプレへの「終わりなき日常」の介入――具体的には『プラネットガーディアン』のような“邪道魔法少女モノ”――として描こうとしているんですが、「邪道魔法少女」というのはあくまで“邪道”じゃない魔法少女を想定した、漫画・アニメ的想像力の中で循環してるラベリングなわけです。――でもそうじゃなく、「これはポップカルチャー・テロリストものなんだ」と考えれば、もっと現実の若者問題とかネット文化の中で翻弄される人間像とか、あるいは上遠野浩平の『ブギーポップ』シリーズから続く後期セカイ系の想像力としても捉えることができて、もっと広い視野を持つ作品になる気がしたんですね。その意味でこの言葉はナイスネーミングだと思う。

ググってもあんまりヒットしないんですが、この方の造語なのかな。
僕も使おう。


関連Link:第65回 アヴァン・ポップで仮想空間から逃げ出せ 知能機械概論-お茶目な計算機たち
関連記事:未来に行きたい! 「エレクトロ・ワールド」紹介にかこつけて妄想してみる
関連記事:日本刀持った女子高生のリアル。
関連記事:603日目 最近のニート
関連記事:アンチヒーロー、求められる物語像について『プラネットガーディアン』

サブカル・ニッポンの新自由主義―既得権批判が若者を追い込む (ちくま新書)サブカル・ニッポンの新自由主義―既得権批判が若者を追い込む (ちくま新書)
(2008/10)
鈴木 謙介

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  1. 2008/12/20(土) 01:45:49|
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629日目 いまNHKの番組に本田由紀と牧野が出てる。

牧野オォォォォ!!!なつかしい!
河合塾の講師です。

関連Link:地域発!どうする日本「変わる義務教育 学ぶ力をどう伸ばす」 NHK番組表
  1. 2008/12/19(金) 19:44:30|
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奈須は環境分析が通じないってことでおk?

ゲーム的リアリズムの誕生~動物化するポストモダン2 (講談社現代新書)ゲーム的リアリズムの誕生~動物化するポストモダン2 (講談社現代新書)
(2007/03/16)
東 浩紀

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『ゲーム的リアリズムの誕生』を読み進めてます。

「環境分析」とは
東浩紀によれば――

環境分析とは、いわば、作家が言いたかったこと、作家が語ったことそのものを「解釈」するのではなく、作品をいちど作家の意図から切り離したうえで、作品と環境の相互作用を考慮し、作家をそのように作らせ、そのように語らせることになった、その無意識の力学を「分析」する読解方法である。


ようするに作家の「頭のよさ」は関係ないってことっすね。
しかし、

僕は今年はけっこうゲームをやっていて、『リアライズ』『Forest』『沙耶の唄』『Remember11』『CLANNAD』と見てきたけど、『Fate』はずば抜けて単調でしたね。『沙耶の唄』はデジタルノベル形式でエンドは3つしかないけれど、そのそれぞれが別の世界観を表すようには配置されている。『Fate』にはそういう試みがぜんぜんない。あれだけボリュームがあるのに、ただ延々とチャンバラをしているだけ。それでいいんですかね。
(『批評の精神分析』第7章「どうか、幸せな記憶を。」)


批評の精神分析 東浩紀コレクションD (講談社BOX)批評の精神分析 東浩紀コレクションD (講談社BOX)
(2007/12/04)
東 浩紀

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つまり、東浩紀は奈須きのこを環境分析的に読み解くことにさじを投げている。作家本人の頭のよさとは関係ない作家の環境すら、奈須には何も見えないと東は言っている(たぶん)。
このことから僕は、奈須の作品っていうのは純粋にあの血なまぐさくてちょっとレトロな世界観の魅力だけで「保(も)ってる」んだと考える。
――というわけで奈須disり記事が↓の記事


関連記事:『空の境界 第二章 殺人考察(前)』ほぼ全否定。
  1. 2008/12/18(木) 09:00:17|
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『空の境界 第二章 殺人考察(前)』ほぼ全否定。

劇場版「空の境界」 殺人考察(前) 【通常版】 [DVD]劇場版「空の境界」 殺人考察(前) 【通常版】 [DVD]
(2008/06/25)
鈴村健一坂本真綾

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→前置き
実際『空の境界』の第2話「殺人考察」をまた借りてきて観たんだけど、やっぱりそういう「深いテーマ」みたいなものはまったく読み取れないんだよねぇ、絵はかなりいい線いってるのに…。

今回の話自体は、現実的目線では確実に殺人犯確定のクラスメイトを「だけど彼女は直死の魔眼の使い手で…」みたいな痛い厨設定の目線を導入することによって救済する、というおおまかな構造になっているわけですが…

本っっっっっ当に中身ないよね!!
マジで何なの?何が言いたいわけ?それをやることによって、例えば秋葉原事件とかに対してどういう効果とかあるわけ?
何の意味もねーだろうが!!

…あの、『ひぐらし』とかもそうだと思うんだけど、学園異能とか伝綺ものの、殺人描写が出てくる作品が人気あるのって、やっぱり読者である思春期の子たちからの要請だとは思うのね。思春期の破壊衝動――アイツ殺す、親殺す、先生殺す、イジメっ子殺す――とかの「はけ口」として機能していて、それがオタクコンテンツ内でそういうものが肥大化する原動力になってるんだと思う。

だけどさ、それを作り手側が売れるからっていって無自覚に肯定してしまうのは本当によくないと思うよ。現実には人を殺したらそれ相応の処罰を受けるし、失うものも多いはずなのに、そういうのを抜きにして魔法で人を殺しまくってたら、自分もやってみようって思っちゃうじゃんか!もし現実にそうなってしまったとして「いや、あれは私のもう1人の人格がですね…」とか、何の言いわけになる?ただの精神異常者じゃんか!そういうことやってるから「アニメやゲームは子どもに悪影響だ」って言われるんだよ。


ようするに、僕は奈須の作品が嫌いなんじゃない。
そうじゃなくて、僕より10歳も年上のくせに、いい歳をして読者に何の意味もメッセージも与えてあげられない、妄想を垂れ流すだけで何も考えてない奈須きのこという人間そのものが嫌いなんだ。
もうお前は何も書くな。


関連記事:高層ビルと孤独 『空の境界 第一章 俯瞰風景』
  1. 2008/12/18(木) 09:00:00|
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628日目

浅田彰+磯崎新+宇野常寛+濱野智史+宮台真司+東浩紀(司会)
「アーキテクチャと思考の場所」
 世界文明センター

建築家の磯崎新、社会学者の宮台真司、経済学者の浅田彰を招き、新世代の論客が論戦を挑む。


これ行く。
  1. 2008/12/18(木) 02:52:07|
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ブログ成績評価のライフハック 「おまえの人生を評価してやる」

tushinbo_img.png
「小説家を目指しましょう」そんな気安くなれたら苦労せんわ!www

課題ブログ公開 Jun Igarashi Architects inc.

今後、ブログでエスキスします。
その模様を公開します。
どんな案が生れるのか楽しみです。


うわぁ、これがライフログチェックってやつか~。
話には聞いてたけどキツイなぁ…。

2008年3月9日放送「自分探し」part8(外伝2) 文化系トークラジオ Life

・就職のために4年間ブログを書かせる!?
・なつかしの「はぁちゅう」問題
・「新卒一括採用は廃止すべき」(斎藤)
・「心情的には廃止すべきだが、そこに罠はないか」(charlie)
・問題はむしろ中途採用(柳瀬)
・アメリカのITベンチャーと東アジアのITベンチャーは全然違う(charlie)
・マーケットメカニズムの変化に対する適切な教育がなかった(charlie)
   ・
   ・
   ・


↑これを思い出した。
速水健朗面白い。この頃のLifeはよかったなぁ。


自分探しが止まらない (ソフトバンク新書)自分探しが止まらない (ソフトバンク新書)
(2008/02/16)
速水 健朗

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  1. 2008/12/17(水) 13:50:53|
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僕の絵は「エロがない」とよく言われるんですが…

その点でこの記事は興味深い。↓

エロパロ同人誌と隠蔽されたエロティシズム。 Something Orange

『ARIA』の作品世界はどこまでも女性的な世界であり、そこに作品の魅力がある。そのことがエロパロを描くことを躊躇させるのではないか。つまり女性的な世界に男性的な視点をもちこんで「穢す」ことを恐れているのではないかと。

 このことは一部の男性百合オタが百合作品にエロを持ち込むことを嫌悪することと一脈通じている気がします。


『ARIA』のエロ同人少ないよね。しかも個人的印象で切りますが、その少ないやつも何か気持ちわるいのが多かった気がする。アリシア×灯里師弟百合とかw ほかには『GUNSLINGER GIRL』なんかも意外にない気がする。最近話題の『かんなぎ』も、僕はナギ様には性的魅力は感じないなぁ。

あと元記事では世界観の話に限定してたけど、明らかに絵柄の印象もあるよね。僕は『エヴァンゲリオン』は完璧に綾波の性的モチーフから入ったクチなので(いわゆる6話信者ですよ(笑))。
対照的に僕自身の絵ってのはまったく性的魅力が無いらしく、自分でも自覚はしてますが。
1番エロい絵っていうのが↓なんですが…

081215.jpg
『ROOM NO.1301』の綾さんです。やっぱり何となく爽やかな風が…

意識的にやってるわけではないんですがね。そもそもエロい絵って描いたことない。pixivとかにはエロ絵描くのだけが生きがいみたいなのがウヨウヨいるというのに。
何だろう、性的に淡白なんだろうか…w

まあでも、それは適材適所だと思うですよ。
オレは『ARIA』とか『BITTER SWEET FOOOLS』みたいなお話を描くのさ~。


ROOM NO.1301 #10  管理人はシステマティック? (富士見ミステリー文庫)ROOM NO.1301 #10 管理人はシステマティック? (富士見ミステリー文庫)
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新井 輝

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  1. 2008/12/15(月) 21:19:22|
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625日目

はてな村のオタクに圧倒的に一人勝ちする7つの言い回し インターネットください

「最近電車でマンガを読んでいる人を見る機会が減った」「俺が面白くない」「売り上げが落ちてるらしい」という点を根拠にして「最近のマンガはつまんね。そんなの面白がって読んでる奴はみっともない」という理論を展開させる。実際のマンガの内容にはまったく言及することなく、自分の観測範囲と印象で全体を斬り捨てる。

どう見ても圧倒的な一人勝ち。


これ面白いなw
リア充と戦う時のお手本として貼っとく。
元記事に引用元のリンクがついてます。
  1. 2008/12/15(月) 14:13:45|
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622日目

『中二病取扱説明書』――――塞神雹夜の名の下に、今その姿を現す 日刊スレッドガイド

同書はさまざまな「中二病的」要素をチェックシート式に羅列し、
最後に「中二病度合」を判定する。


こ れ は 買 う 。スレも秀逸。


日本刀持った女子高生のリアル。

ずっと考えてたのは「なぜこんなにもリアルじゃないのか?」ということ。呪術とか、日本刀を振り回す女子高生とか、およそ僕たちの現実とはまったく関わりの無いものがこの物語では展開される。そしてそれは学園異能としては、しごく普通のことなのだ。
――いったいどんな想像力が、こんな物語を一般化しているというのか。


前にこう書いたものの『喰霊-零-』とかけっこう好きだったりするんだよね。話の展開が面白いから設定とか気にならない。『喰霊-零-』はオススメ!
  1. 2008/12/12(金) 18:10:22|
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mixiとリア充

前の記事書いてからネット回ってたら、こんな記事がホッテントリになってた。↓

mixiは日本で最も本音が言えないコミュニティになってきたのかもしれない クレイジーワークス総裁日記

「今日、これ買ったのー」
「えー、かわいいー」(別にかわいいと思っていない。)
「あたしも買おうかなー」(別に買う気は無い。)

「この前、xxxで、ナントカをたべたのー」
「えー!おいしそうー」(本当はどうでもいい)
「こんど、一緒に食べに行こうよー」(本当は特に食べたくも無い。)

と、まあ、たいして仲がいいわけでも悪いわけでもないOLの給湯室の中の会話みたいになってるような話を聞いた。「共感強制」みたいな感じです。コメント強制ワールドですよ、奥さん。


遅い!
遅いよね。いまさらそんなこと言ってんのか、そんなこと入る前から分かってたさ、現実の人間関係をネットに持ち込む時点で。たぶんそれは僕のように現実の人間関係と趣味のコミュニティが分離してる人間はみんな感じていたことで、僕もできる限り抵抗した。だけど状況が許さなかった、今mixi入ってないヤツはむしろおかしい目で見られる。

僕がmixiに入ったのは3年前(2005年)、大学3年の夏ぐらいだと思うけど、存在自体はギークな友人たちの話でその2年前から知ってた。知ってて前述の理由で敬遠してたけど、僕の実感ではその頃になるとそうも言ってられなくなった。ネットに疎いまわりのクラスメイトたちの間でも爆発的に流行りはじめ、一気に全体化。僕が入ったのはmixiが「強制力」になったと感じたからだ。
入ったものの、マイミクに“オタ認定”されたくないことや上述のような薄いトークに耐えられず、とても居心地が悪かった。それが大学卒業後にこのブログを立ち上げる動機につながっている。

ただ、最近は思うんだけど、むしろ逆にmixiは楽しいとかどうこうじゃなく「社交場」として何が何でも使うべきなんじゃないかという気がしてる。というのも前のエントリに書いたように、僕らの親の敵(笑)である「リア充」の一大生息地こそmixiであり、ヤツらは巧みにmixiで人間関係を強化してるからだ。

実体験をもとに書くけど、やってみれば分かるように、mixiはマイミクが100人を超え日記を頻繁に更新する人間関係のハブ(中心)になるヤツが点在して、そのまわりに無数の取り巻きがいる構造になっている。ハブなヤツの日記にはたくさんのコメントが付くけど、それ以外のヤツの日記は基本的に直近の人間しか見ないし、席だけのユーレイも多い。それを打破するために「コミュニティ」という横のつながりがあるのだけど、コミュは積極的には関わってないので使えるか僕は知らない。
そして、このヒエラルキーのてっぺんにいてハブになっている人間こそ、ブログ界隈で「リア充」と呼ばれている人そのものなんだと僕は考える。

「リア充」の行動を観察していると、引用記事が言うように薄っぺらい人間そのものだ。ただし、それはブログでは馬鹿にされるがmixiでは歓迎される。理由は僕らのブログの逆を考えれば分かる。ブログは基本的に専門性に特化して中身をどんどん濃くしていく傾向にあるけど、それはわかる人には面白いけどわからない人にとってはただのゴミだ。逆にリア充の日記というのは内容が薄くて足りないことが多いので、読み手のツッコミビリティを刺激する。会話しやすいのだ。しかも人脈が豊富でネタの供給源になっている人が多いので、内容が多岐に渡る。つまり、僕ら非モテ(あるいはオタク)が「悪である」として嫌っている条件が彼らにとっては長所として逆転する。

そして、これはネットに限らず現実の人間関係でも同様に作用する。彼らは毎日たくさんのメールをやりとりしながら(あえてメールは「現実」に分類した)人間関係を広げてゆく。mixiもその一端だ。僕の知り合いのリア充はみんな、人当りがよく、他人に対してすごく気を回してくれる人間ばかりだ。ズバリいい人なのである。
つまり彼らの本質とは、「社交的に誰とでも人当たりよく接することで人間関係のリソースを獲得し、それを常にフローとして流し続けることで、他人より多くの“幸福の芽”を集められる人間なんだ」というのが最近になって僕が達した結論だ。総じて器用貧乏なタイプの人間が多いように思う。

つまり結論はこうだ。
いま携帯メールが若者の人間関係と切り離せないものになっているのと同様に、mixiも確実に友人関係の1つのパーツをなしている。したがって、mixiに表れている状況は確実に現実の状況の反映だ。完全に=ではないが、リアルで女友達いないヤツのマイミクに女はいないし、マイミク100人いるヤツは高確率でリア充だ。
だから、戦う以上はmixiから逃げてはいけない。つまらないからといって戦う手段を放棄してはいけない。それは現実そのものだ。
もちろん「そんなくだらない現実なんかエクソダスしてやる」というなら、僕は止めないけれども。
  1. 2008/12/12(金) 18:00:21|
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日本刀持った女子高生のリアル。

リアルデバイド
この図を貼りたいのでエントリでっちあげました。

『屍姫 赫』というアニメを観た。まったく面白くなかった。
出来は良いと思うのだけど、何というか心に響いてくるものがまったく無い、これっぽっちもない。

我ながら学園異能モノがほんとうに嫌いだ。この世から消してしまいたい。
このブログではくどいぐらい書いてるけど、一応説明しとくと、学園異能は「なぜか特殊能力を持った少年少女たちが、バケモノとか巨大な悪の組織と戦う物語」を描くジャンルのこと。具体的な作家としては西尾維新とか奈須きのことか、奈須きのことかw(『屍姫』の原作は赤人義一ですが)

で、『屍姫 赫』を観てる最中、上の空でずっと考えてたのは「なぜこんなにもリアルじゃないのか?」ということ。呪術とか、日本刀を振り回す女子高生とか、およそ僕たちの現実とはまったく関わりの無いものがこの物語では展開される。そしてそれは学園異能としては、しごく普通のことなのだ。
――いったいどんな想像力が、こんな物語を一般化しているというのか。

いま読んでいる東浩紀の『ゲーム的リアリズムの誕生』に、これを説明する記述があった。

いま日本の小説を支える想像力の環境は、近代的な現実を信じる自然主義的リアリズムと、近代的な現実から決別したまんが・アニメ的リアリズムに大きく分かれつつある。

(東浩紀『ゲーム的リアリズムの誕生』)

要するに「漫画やアニメではよくあること(テンプレ)→使う」というふうに、中で理屈が循環してしまっているらしい。それによってドライブがかかり、ますます物語が奇形化してゆく。その結果いわゆる「現実」とはまったくかけ離れたものになってしまうけど、漫画やアニメ的にはそれがフツー、ということになってしまうのだそうだ。この説明は納得できる。学園異能モノはこのお約束の最たるものだという気がする。

まだ読み終わってないけど、たぶん東浩紀的には「ポストモダンではこれも『リアル』であり、新しい物語の可能性である」的な話になるんだろうと思われる。でも僕の話はそれで済まない。
なぜなら東も書いているように、それを観ている僕らオタクは、別にポストモダンが好きでそれを観ているのではなく、結果的にそうなってしまっているだけだからだ。僕のように「またこのパターンかよ、こんなの全然リアルじゃない」と散々文句を言っているヤツもきっと多いと思うし、僕にとって物語の関心というのは、その人たちをどうしたら救えるのか、ということに尽きる。

607日目 最近のニート2」で書いたように、僕は「こんなふうに生きたい」と思えるような“人生の参考書”になる物語が一定数必要だと強く感じるし、しかもそれは現実に即して「リアル」で、実現可能でなければならないと思う。なぜなら、そういうまんが・アニメ的に飛躍した「お約束」と、この僕らの生きている現実の間の断絶こそが、読者や視聴者を苛立たせている原因だと感じているからだ。
…何だかんだ言って、結局ぼくらはこの現実からは逃れられない。身体まで2次元の住人になることは出来ないのだ。


では、どういうものが「リアル」なのか。とりあえず学園異能の憂鬱からだけは救われたい気がする。訪れない“何か”なんてもう待ちたくない。
もちろん、このポストモダンな世の中では、「現実」といっても単純じゃないことは注意しなければならない。島宇宙化が進んだ社会では、一方が「自己責任で能力主義だ」と言えばもう一方が「格差社会で既得権益だ」と言うように、現実という認識自体が多様で、統一見解がとれない状態になっている。まあ、ある程度根っこの問題は共有してて、それが枝分かれしてる感じもするのだけど…。
パッと思いつくのは2つあって、1つは複雑な現実を複雑なまま見せること。もう1つはその人がいちばんリアルだと思う物語を最適化して届ける、ということ。テレビアニメなんて強制じゃないし観たくなければ観なきゃいいんだから、その意味では後者を実行してると言える。要するに僕が『屍姫 赫』を観たのは誤配なんだよね。つまんないだろうと思って観たから後悔はしてないけどw

ただ、僕の言う“人生の参考書”になる物語を小説はともかく、漫画やアニメで届けるには限界があるような気もする。尺が短いから「複雑な現実を複雑なまま…」といっても限度があるし、10代~20代の漫画アニメ好きなオタクに最適化したリアルな現実を描く物語って…『らき☆すた』か!?でもそれってすっごく「終わりなき日常」的な薫りがプンプンするんですけど…みたいなww


リア充
話は変わるけど、先日僕のマイミクが誕生日のプレゼントにブランド物の財布をもらったと日記に書いていて、誕生日おめでとうのコメントもたくさんついていた。察してくれると思うけど、世の中にはそういう人間が本当にいるんだということを僕は知っている。
…ん――要するに、『ブランド物の財布』ってのは“あっち側”でしょ。『絶対遵守の力』とか『木彫りの人形に神様降臨』、べつにそれ自体はどうでもいいけど…『古川渚を嫁に下さい』とか『雫、大好きだ!』とか、それはどうやってフラグ立てるんだ!みたいな話(笑)。……僕ら言っても『らき☆すた』じゃないですか?しかもかがみんが嫁ならそれでもいいけど、そうじゃないんだよ…かがみんは同性なんだよ…。

ようするに、「そこにいたる道すじ」が示せないわけ、いわゆる漫画アニメの文脈では。「かがみんは俺の嫁」と「雫、大好きだ!」の間は限りなく切れている。あるいは、『秒速5センチメートル』のようにナルシスティックに自己肯定しなければ現実に耐えられない。…だとしたら、もし「どうしてもブランド物の財布のプレゼントほしい」という人がいたなら、僕は「オタクやめてリア充になりなよ」としか言ってやれる言葉がない。それが楽しいかどうかはべつとして。
まあ、みんな多少のリスク分散はしてると思うんですけどね。テンプレの文脈に挫折した人間=オタク(非モテ)をテンプレに戻したところで、テンプレのチャンピオン(リア充)に勝てるとは思えないのだが…。

そうなると、やはりテンプレ以外の文脈で幸せになれる価値観をでっちあげるしかないのかなあ。でも「リア充」っていう定義自体がチートだしなぁ…w
この前鈴木謙介の『サブカル・ニッポンの新自由主義』読んだら、結論がアナーキズムとかいって、「ジモトとか、ネットとかの共同体でぬくぬくしてください」みたいな話でがっかりしたんだけど、あながち外れてもいないのかなぁ、と思う。
とりあえずmixiやれってことですかねw
  1. 2008/12/10(水) 09:00:00|
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616日目 あなたとは人種が違うから、言葉が通じないよ。

という意識が徹底されるとどうなるんだろう?
それは幸せなのか不幸か?
という最近の世の中に対する問題意識のもと、
ようやく『ゲーム的リアリズムの誕生』読み始めました。


ゲーム的リアリズムの誕生~動物化するポストモダン2 (講談社現代新書)ゲーム的リアリズムの誕生~動物化するポストモダン2 (講談社現代新書)
(2007/03/16)
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NHKの特集を観て考えた。

081201-Digital.jpg
受信料を払いましょう(笑)

ちょっと前のNHKスペシャルの「デジタルネイティブ」と、クローズアップ現代の村上隆の回を録画して何回か繰り返し観てるんですが、その感想を書きます。


まず「デジタルネイティブ」から。
デジタルネイティブというのは、生まれた頃からネットが普及していてパソコンに親しんでいる世代のことだそうです。NHKによれば特徴は↓の3つ。

・現実とネットの出会いを区別しない
・情報入手のコストを“無料”だと考える
・年齢・肩書き・所属を重視しない


2つめがヤバイ。「情報のコストが0」ってのは、理想としては僕もそう思うけど今の段階では現実として無理があるじゃないですか。例えば「アニメとかいつでもタダで観たいけど、そうするとアニメーターが飢え死にする」とか。

冒頭、サマーくんというインド系アメリカ人の少年が出てくるんですが(http://www.nhk.or.jp/digitalnative/index.html?id=n001)、彼は14歳にして100万ドル売り上げたカードゲーム会社のCEOだったりする。

*「目標は何なの?」
サマー「まず初年度に100万ドルの売り上げを達成すること。さらにAmazonの教育用ゲームの売り上げトップ10に入ることさ」

サマー「インターネットは僕にとって情報そのもの。人間関係もインターネットの中にあるんだ」


すげえなと思う反面、ちょっと疑問を持った。
というのは、彼自身にすげースキルがあるわけではない、ということなんだよね。番組を観ればわかるけど、彼の作ったカードゲームのアイデアは彼の発想だけど、それ自体はあり来たりで「萌え元素記号」とかとレベル的には大差ない。それが売れたっていうのは、僕はたぶん「彼が14歳のCEOだった」という話題性と、イラストレーターとか適材を発掘したり、Youtubeで広報活動を行ったり、っていうウェブリテラシー(=新時代のコミュニケーション・スキル)でしかない気がする。要するに彼はプロデューサーなわけ。
それはそれで能力なんだとは思うけど、でも日本のコンテンツ産業とか見てると、僕は「プロデュース」ってかなりいかがわしい作業なんじゃないかと思ってしまう。もう少し手に職つけたほうがいいんじゃないかと思うんだよねぇ…僕はクリエイター(笑)なのでw

また、日本のデジタルネイティブとして、はてなの近藤淳也も取り上げられていた。

近藤淳也「なんていうか、そんなこと(上場)よりもっと大事なことがある気がしていて、僕たちで言ったらたとえば、どうやったら100万1000万人の人に使ってもらえるんだとか、どうやったら人の生活をほんとうに変えることが出来るんだろうとかいうことが、いちばん頭の中を占めてるわけですよ。…で、あんまりその上場を目指すとかいうのはそれとリンクしてない気がするんですよ」


かっけえ。
「はてな」が株式市場に上場しなかったのって、たぶんソフトバンクとかの1世代前のIT企業とか、ライブドアとの対比で話題になったんだと思うんだけど、はっきり言って今の現状はちょっと微妙かもねw
…まぁでも、この「お金が1番じゃないんだ」という考え方は好きだなぁ。かなりNPOとか“社会企業家”とかに近いよね。これを聞いて「自分が普通の企業とかに就職する気が起きなかったし、結局出来なかったのって、たぶんこういうのが好きだからなんだろうな~」と改めて思った。ただ「はてな」的な理念ってようするにシリコンバレー精神=ニューエイジの流れだろうから、手放しに受けるといろいろ問題ある気はするけど。いずれ僕もこういう方向性でいきたいとは思った。


次に「クローズアップ現代」。

村上隆「日本の漫画にはそういう『正義とは何か』なんていうテーマなんか無いわけですよ。最終的には、人と人が分かり合いたい。隣にいる友人や恋人でも分かり合えない。そういうこう、すごくこう…センシティブな心の交流っていうのがテーマいつもになっていますよね」

クローズアップ現代「ニッポンを主張せよ ~アーティスト 村上隆~」

それはどうかと思うけどね。
だって漫画なんていっぱいあるんだから、恣意的にPICKUPすればどうとでも言えるでしょ。たとえば『コードギアス』と『エヴァンゲリオン』の組み合わせなら村上の主張どおりだけど、『コードギアス』と『デスノート』だと全く逆の言い分になるわけ。村上隆のこのテの右…というか国粋主義的な発言が岡田斗司夫とかオタク第一世代と被ってるというのはよく言われることですけど、危険だよねw

――ただ、それとは全く別のレベルで“僕は”そういう漫画が好きだなぁ…というのは思ったので、この発言はけっこう好き。あと「スーパーフラット展」の冊子で、見開きに葛飾北斎の『冨嶽三十六景』と『銀河鉄道999』が並んでるページは吹いたw


まとめ
僕の感想をまとめるとこういうことです。

1.デジタルネイティブ的(ネット的)な、つながりの力によって生まれる可能性はたしかにあるだろう。…ただ、自分に引き寄せて、クリエイター(職人)としての利用法を考える必要がある。

2.個人的な心情として、「利益の追求」ではなく「幸せの追求」や「社会の変革」を目標にしたい。それにはシリコンバレー的な精神は有効かも知れない。

3.「日本漫画はいつも心の交流がテーマだった」のかは知らないが、個人的には好きだ。なので決断主義(新自由主義?)に村上隆的なトリックスターも参考にしたい。


最近僕が考えていることは、だいたいこのへんをぐるぐる回ってる気がしますね。あまり上手く3つの事柄の具体例や、関連について書けなかったんですが、おいおい書いていきたいです。


関連Link:NHKスペシャル デジタルネイティブ
関連Link:クローズアップ現代

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611日目 「手塚さん、僕らはどうしたらいいんですか!?」

081201.jpg今月の『佐藤大の±0』聴いたんだけど、なんか昔の手塚治虫のドキュメンタリーを観たらしくて、その感想を語ってた。

佐藤大「もう僕らが望んでいる意味で全てを手に入れている人間と僕は勝手に思うけど、その人が全然手に入れてないわけ自分的には。『僕はもう丸が描けなくてダメなんだよ…』とか」

(「佐藤大の±0」 #13 フリーダムのモノヅクリ)
わかる!すごくわかる!!てか手塚レベルになってもオレと同じこと悩んでんのかと思って絶望した。
ほかにも↓とか

「絵柄を変えるんだ」
「物語はいくらでも浮かぶけど手がついていかない」
「効率よくできてない」
「僕にエロが無いならエロを描いてやる」

痛い痛い痛い!もう泣くよオレ…w
要するに死ぬまでこんな感じってことなんですね…orz



ちなみに、手塚治虫の“伝説”は「たけくまメモ」が詳しいです。

関連Link:佐藤大の±0
関連Link:手塚伝説(その1)禁断のプライヴェート篇 たけくまメモ
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