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608日目

081128.jpg

さて、最近更新もしてなくてこいつ、マジでただのニートなんじゃないかという話もありますが、一応生きてますw 漫画も地道に描いてます。
僕の場合、漫画を描くっていうのは下の記事に書いたような「夢を追う」っていう段階ではなく、最早「宿命として、限られた選択肢のなかでうんぬん…」みたいな話になっているので、やめるってことはたぶん、無いはず。才能無いなぁとは日々思いますが…orz

最近、立て続けに知り合いに「お前はそこを直せば社会で通用するのに」とか「お前は自分のこだわりに固執しすぎて色々損している」とか言われたのですが、たしかにそうだとは思うんだけど。
ただ思うんですが、そういう社会に適応するために人格改造とか、あるいは自己啓発とかライフハック的な話って、なんとなく手段と目的が逆転してないか、って気がするんですよね。もちろん社会のシステムの中で居場所を確保して、給料をもらって生活していく…ってのは人生の中で絶対に考えなくてはならないことなんですが。僕もとりあえず就職すりゃよかったかな~という思いは拭えないし。
ただそれはそれで人間歪むよね、まぁこっちも歪むからお互い様なんだけどさw

とりあえず僕は他の人が諦めたものを追及してみよう、という選択をして、みんなが見ないようにしている自分の宿命的なものを引き受けようと思ったのだから、もう悩むのは終わったのですが。あとはこの選択肢でやりくりするしかないわな。
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  2. 2008/11/28(金) 15:21:50|
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求められる物語像について2

アニメの『かんなぎ』が面白くて『とらドラ!』がつまらないっていう差は、単純にアニメーションとしての出来のような気がする。単純なストーリーをどこにこだわって見せるかとか、どういうテンポで見せるかとか。両方とも割とフツーの日常を描いてるのに、僕はナギ様は可愛いけど手乗りタイガーは可愛いと思えない。竹熊健太郎が言っているアニメ論がそれだと思うんだけど。

マンガとアニメーションの間に(4-2) たけくまメモ

宮崎駿は「描写の奴隷」である。文章で書いたら面白さが伝わらないようなシークエンスを、一大スペクタクルに変えてしまう力が、宮崎にはある。『となりのトトロ』の冒頭、サツキとメイが新しい家に引っ越しするシーンで10分もの時間を費やすシークエンスがいい例である。

『GUNSLINGER GIRL』二期とか、どう考えても演出がクソだったから失敗したとしか思えない。
(あの話大好きだったのに!w)

ところで、最近クオリティ高けぇと思う作品は『涼宮ハルヒの憂鬱』『らき☆すた』『CLANNAD』『コードギアス』『かんなぎ』…どうも『ハルヒ』→『らき☆すた』→『かんなぎ』のラインは堅い気がする。原作者はこれ系の作品つくると幸せになれる?
『かんなぎ』とか、自分の作品がこんなに上手にアニメ化されたら嬉しいだろうなぁ…僕も懐かしい仙台の街が出てきてちょっと嬉しい。^^


きのう「これからのアニメはもう少しリアリティを持って非モテを救済しろ!」みたいなことを書いたんだけど、ああは言ったものの正直、今の流れはどうなんだろうと思う。個人的に、『ef』と『CLANNAD』は二期に入って評価が×になった。『ef』はシナリオの自意識がキモイし、『CLANNAD』は何か…あれは何なんだ?退化してないか?w 不良が河原でケンカとか、あれを今の僕らに見せて何になるんだろうという気がする。昔から思ってたんだけど、麻枝准の抱えてる「擬似家族モチーフ」的なものって、東浩紀とかは評価してるけど、はたしてどれだけ共感されてんのか疑問だ。若い人はそれより「恋愛」とか「夢」のほうが大事じゃないのかな。
あと『ガンダム00』とかも二期になって、話が単純であざとくなったよね。「難しすぎるから簡単にしろ」とか言われたんだろうけどさ。あれは複雑で正義が分からないから今だったと思うのに。アロウズがティターンズと被りすぎw

比較的、最近聞いた話で1番そうだなぁと思ったのは、Lifeの「ぼくたちの失敗学」で鈴木謙介が言ってた「失敗→再チャレンジ」の無限ループの人生がキツイという話かなぁ。僕なりに考えると、要するに「夢は叶うよ!」とか「愛は勝つ!」とか、単純なモチベーションで突き進んだ結果失敗してそれが不可能になったとしても、僕らの人生はそこで終わってくれないってことなんだよね。そのあと「夢に破れた人生」とか、「愛に敗れた人生」を自殺しないかぎりは生きなきゃならないわけだから。たぶん従来の漫画やアニメや小説はその、「夢は叶う」とか「愛は勝つ」とかの単純な動機付けとして、強くてストレートな物語性として受容されていたと思うんだけど、その形式ではそのあとの失敗した人生のつらさをフォローできない、それこそ「失敗」としてしか受け取れない価値観につながっちゃうってことだと思うんだよね。このへん僕は「ゲーム的リアリズム」の理論を理解してないから、不十分なところもあるんだけどさ。
↓はてなの解説で、大塚英志と僕の言ってることがダダ被りすぎて吹いた(笑)

関連記事:ゲーム的リアリズムとは はてなキーワード
関連記事:10月26日「ぼくたちの失敗学」part5 文化系トークラジオ Life
関連記事:アンチヒーロー、求められる物語像について『プラネットガーディアン』
  1. 2008/11/28(金) 14:39:54|
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607日目 最近のニート2

とらドラ!1とらドラ!1
(2006/03/25)
竹宮 ゆゆこ

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友達と『とらドラ!』を観ていて、面白い面白くないでケンカになった(注:25歳です)。
その友達は「作画が良くて、話が面白い」みたいなことを言うのだけど、全く理解できない。作画はまぁ、最近のアニメはこんなもんじゃないか(偉そうw)という気がするし、僕が『かんなぎ』や京アニのアニメと比較しちゃってるのが悪い気もするんだけど、お話については、第1話を観たんだけど、ご都合主義でまったく良いと思えない。いわゆる典型的な「ダメダメの美少女アニメ」にしか見えなかった。

話をするうち、彼と僕の「面白さ」に対する根本的な考え方の違いに行き当たった。
彼は単純にエンターテイメント的な面白さを求めていて、「萌えアニメ」としての“型”を『水戸黄門』とかと同じように楽しんでいる。だからみのりんのシーンで素直に笑える。それに対して僕は、前から言っているようにアニメを「人生の教科書(笑)」のように観てしまうクセがあるので――さすがに最近は自分、というより年下の子達にとって、という視点で観てるけどw――お約束の展開とか、ハチャメチャな騒ぎの場面はあまり楽しくない。それよりも大事なのは「登場人物の生き方やものの考え方に共感する」とか「自分の生きるうえで参考になる」とかで、平たくいえば何か得るものがあるということに対して僕は「面白い」と感じるので、だから僕はきっと“ギャルゲーテンプレ”をきれいになぞった『とらドラ!』の物語は面白くないんだろう(だって「女の子から告白して、しかも相手の男に勘違いされて伝わらない」なんていう80年代ラブコメ展開が許容できるか?何の意味があるんだ!w)。

これはたぶん僕と彼の境遇が関係してて、2人とも昔からオタクだけど彼はリア充で僕は非モテだw だから現実はさておき、あくまで「趣味」としてオタクコンテンツを消費していた人間と、「代替人生」として現実の鬱憤をオタクコンテンツで晴らしていた人間の違いがここで出てきてるんだと思う(悲しいけどww)。そういえばオレ、お笑い芸人とかも嫌いだしなぁ、無理やり笑わせるってのが分からん…。

――どっちがいいとかじゃないと思うけど、僕としてはやっぱり昔の自分と同じ境遇の人…というか、10年前の自分を救いたいという思いが切にあるので、そういう物語が作りたい。あと“エンターテイメント”ってのはテレビとか、大衆芸能的な分野で既に散々やられているし、その氾濫が「ネタのインパクト勝負であとはgdgd」という弊害を生んでいると思うので、改めて僕がやる必要もないだろう。ちなみに彼は「そっち側」の人間で、「オタクは購買力が強いから、100人いれば市場ができる」とか言っているヤツなので「ちゃんと救済しろよ!」とキツく言っといた。
でもたぶん通じてない…orz

『とらドラ!』についてフォローしとくと、一応僕は原作の竹宮ゆゆこの作品は1つ前の『わたしたちの田村くん』を読んだんだけど、「ツンデレとかの属性やトラウマ要素を配置して、最終的に恋愛の力によってトラウマを吹き飛ばして幸せになる(=超越性)」っていう構成はすごくテンプレにギャルゲーで、その枠を1ミリもはみ出ることなく良い意味で『水戸黄門』的にカタルシスを描き出している「ジャンル内の秀作」だとは思うし、カタルシスの描き方は上手い。だから『とらドラ!』の魅力的な部分も何となく予想はつく。だけどアニメの脚本にする段階でやっぱり無理は出るだろうし、それに僕は何度も言うように「愛がすべて」では、“この現実”的に何の解決にもならないということを嫌というほど思い知っているので、「もうちょっと現実的にいこうよ」と思うわけ。そしてそれは僕だけじゃなく業界全体の流れとしてもそうなりつつあるのだ(と、思う)。

だって現実的にそうならない=ウソってことでしょ?それってある意味シナリオが破綻して物語になってないってことじゃないのかな?


わたしたちの田村くん (電撃文庫)わたしたちの田村くん (電撃文庫)
(2005/06)
竹宮 ゆゆこ

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  1. 2008/11/27(木) 23:59:00|
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603日目 最近のニート

かんなぎ 1 (1) (REX COMICS)かんなぎ 1 (1) (REX COMICS)
(2006/08/09)
武梨 えり

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1ヶ月書かないと広告が出ちゃうので、がんばって書くよ!
厚生次官殺人犯、捕まったらしいですね。なんか最近にしてはすごく“正統派”な事件なので、特に言うことも無いけど。(人殺しダメ、ぜったい!とか)

それはそうとして、最近『かんなぎ』のアニメを観たらすごく質が高くて「ナギ様サイコー!A-1Picture(製作会社)サイコー!」みたいなことを書こうとしたんですが、そしたらこんな騒動を見つけてしまいました。↓

関連記事:漫画の人気キャラが非処女と判明してヲタ騒然…「単行本全部捨てる」と漏らすファンも  痛いニュース

このテの記事を見る度に「オタクって痛てぇなぁ…」と思うんですが、とかいって返す刀が自分に刺さったりするので僕も\(^o^)/だなぁと思いますw 
ただこれ読んで思ったのは、「非モテ」ってやっぱ実際に彼女いないとかじゃなくて精神的なものの気がする…。よく言われる「女の子のほうが進んでる」的な漠然とした不安が拭えない人のことを言うんですよねきっと。処女というのは分かりやすいじゃないですか、誰の手もついていないし、奪ったらクリアっていうゲームのまんま(笑)。本当はそこで終わらないから現実なんだけど…ある程度の年齢になって通過儀礼(どんな通過儀礼かは知らない)を経る前の男子にとっては、複雑な状況を理解できないから。だからオタクはテンプレに判断できる処女性にこだわるのだと思う。
――最近思ったんですけど、ちょっと前にセカイ系が流行ったのって、今にして思えば90年代に宮台真司的な「援交・ブルセラ女子高生」的なイメージが蔓延したことに対するオタク(=非モテ男子)の拒絶反応だったんじゃないかって気がする…。特に美少女ゲームはその色が強いですよね。そう考えると東浩紀のいう超越性って、宮台のいう流動性にきれいに対置する言葉なんだなぁ…(てきとうだけど)。

まあ、宮台的な女性イメージは崩れて今はなんかよく分からんことになってるので(三浦展がパターン分析とかしてるけど)、オタク男子の恋愛至上主義的な流れが廃れるのも、改めて思うと僕は必然て気がした。『CLANNAD』とか、『コードギアス』とか、『ハルヒ』とか『らき☆すた』が発しているメッセージってのは、明らかに恋愛以外の自己充足する方法を提示している気がするし。かといって処女信仰がなくなるとも思えないけどw

『かんなぎ』に関していえば、あれは『みなみけ』とかと同じであまり深い話じゃないと思うので、あんまりマジにならんほうがいいんじゃないかなぁという気がします(ファンにキレられそうだ)。それに僕の経験だと、女性作家はあまり童貞の悩みとかわかってくれないのでサラッとひどいこと描くよ(笑)

…なんか長くなったから、続き明日書こ。
  1. 2008/11/23(日) 03:16:56|
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