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アンチヒーロー、求められる物語像について『プラネットガーディアン』

古雪「私にとって魔女っ子なんて悪夢と絶望と羞恥の固まりみたいなものよッ」


プラネットガーディアン 4 (4) (ガンガンコミックス)プラネットガーディアン 4 (4) (ガンガンコミックス)
(2004/01/22)
高坂 りと

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ちょっと古い作品ですね。全4巻です。

個人的に最近引きこもってるせいもあって、いまいちここ最近のサブカルの「コレが来てる!」という流れが掴めない。分節化が進みすぎたのか、正直今年はサブカル不作の年じゃないかと思っています。
1つ思ったのは、例えば『コードギアス』とか出来の良い大作が終わるとして、それ自体はすごく良かったんだけど、終わってしまうと視聴者は取り残された気がするんじゃないかということ。
「物語的にはケリがついた。ルルーシュの生き方にはすごく共感した。…さて、自分はどうしよう?」
と現実に還る。でも、僕らの人生があんなドラマティックなわけ、ない ない ないw

――やはり『コードギアス』ヒットの文脈で重要だったのは、「世の中は腐っている&オレが変える」という決断主義的な認識だったと思うわけです。それがゼロ年代の底流を流れてきたハズさないテーマだったと思うし。…ただ、いくら物語的にうまく料理したところで、しょせん物語であって僕たちの日常が変わるわけではない。『ギアスR2』の終盤のふろしきの畳み方は良かったと思いますが、しかし同時に話がデカくなり過ぎて、僕は視聴者の反応に微妙なシラケの空気を感じた。
たぶん今後はこの“シラケ”に対する対応が必要なのだと感じます。それがかつてエヴァへのフラストレーションが美少女ゲームの隆盛を生んだように(『批評の精神分析』より)、新しい流れを生むんじゃないでしょうか。

――で、僕の中では今なぜか魔法少女モノがきています(笑)
理由は自分でもはっきりしないんですが、たぶん世間の流れがはっきりしないんで「戦闘美少女」的な定番に戻るかということと、あとこのテの話は定番すぎるがゆえに強烈な皮肉やシニカルを呼び覚ますということかなと思います。『アンパンマン』とか見てるとヤツとかカバオとか抹殺したくなりませんか?そのへんがコードギアス的な反逆精神とつながってるかなと…w

僕は基本的に物語に求められているのは人生のロールモデルで、それ以外のエンターテイメント的な物語は価値がないと考えています。なぜなら、よく物語を消費するオタクというのは基本的に僕のような人生弱者であったり、自分の現実と折り合いがつかないから物語に逃避しているのだと考えているからです。はたしてそういう人に「努力すれば報われる」とか「みんなで力を合わせよう」とか「正義は勝つ」とか、そういう言葉をかけたらどう思うか。殺意しか芽生えませんねw あり来たりな物語というのは詰まるところ、作り手側の怠慢によって生まれると思う。
そもそも自分の人生が楽しくて仕方ない人(まあ、そんな人いないでしょうが)は、物語なんか読まないですよね。

とすれば、物語に求められる役割というのは、やはりその人が幸せに生きられる現実的に通用する理想(ロールモデル)を示して、オタクから卒業させてあげることではないかと思うんですね。したがって、現実に通用するために今の物語はリアルであるか強くなければならないし、将来的にはその人にとって不要にならなければならないだろう。
少年漫画的なエンターテイメントや、エロゲーに浸って2次元に引きこもること、東方のような終わらない世界の中で遊ぶことも息抜きとしてはアリでしょうが、やはり不健全だと感じます。

…で、やっと『プラネットガーディアン』の話になるのですが、この物語はいわゆる“アンチ魔法少女モノ”です。ド定番の魔法少女モノをパロディ化してツッコミを入れることによって、このテの物語は「現実はそんなんじゃないよ」というシニカルなリアリティを持つことができる。明らかに当時流行っていた『CCさくら』をネタにしています。この話の場合、敵であるアルゴルの到着が5年遅れたために、主人公の古雪は受験勉強で忙しくてそれどころじゃなくなってしまった。また、古雪自身が魔法少女というものを完璧に“ネタ”だと思っているので、この物語自体に本気になれない。――読めば分かるのですが、実はこの話の真の敵というのは宇宙怪人などではなく、この現実(リアル)そのものです。すごく批評的な物語ではある。

ただ、もちろん作り手側にそんな深い意図はなくて、それこそネタでしかない。僕は連載していた当時はこの作品が嫌いでした。思い返すとどうも物語を放棄している=読者(僕)をバカにしていると見えていたんだと思う。前に言ったように、現実に挫折してロールモデルを切実に求めていた高校生の僕にとっては、その役割を放棄しているこの作品はおそらく怠慢にしか見えなかった。今にして思えば「現実の辛気臭さを教える」と言う意味ではある程度価値のある作品なのでしょうが、当時の僕にとってはわかりやすい描き方ではなかった。
結局、既存のあり来たりな物語を否定したまでは良かったけど、それの代わりになるロールモデルを提示しなかったために、すごく作品としていい加減に見える。また、結末とも関係してくるのですが、結局この話は最終的に天野こずえ的な「終わらない放課後」を肯定してしまっていて、日和っている。そういう現実との戦いにケリがついていないのです。…いや、たぶん作り手側の意図としては魔法少女を否定する意志はなくて、あくまでオマージュで、何だかんだ言ってやっぱ魔女っ子いいよね!っていうあたりが落としどころなのかも知れません。「有名人になんかなりたくない。頑張って勉強していい大学入って公務員になって安定した生活を送る」と言い張る古雪が魔法少女をやっていれば、絶対人生のどこかで選択を迫られるはずなんですが…。いま読み直してみて「そこが見たい」と僕は思ったのですが、まー「いろんな未来の可能性が残されている」というのが青春なのかもねぇ…orz
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  2. 2008/10/27(月) 03:44:06|
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